静まりの時
- テーマ:絶えず祈れ
- 聖書箇所:ヨナ2・1~9
- 日付:2026年10月10日(土)
7 私のたましいが私のうちで衰え果てたとき、
私は主を思い出しました。
私の祈りはあなたに、
あなたの聖なる宮に届きました。
十字架の主とともにはりつけにされた犯罪人の一人は、主に向かって祈りました。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください」(ルカ23・42)。主が私を思い出してくださる。
対してヨナは魚のお腹の中で祈りました。「私は主を思い出しました」。私が主を思い出す。
「思い出す」は、一度記憶したものが忘れられてしまったけれども、今またその記憶がよみがえってくる。この犯罪人は主に向かって、私を思い出してください、との祈りました。主は忘れてしまわれるようなお方ではありません。主はずっと覚えていてくださいます。ずっと覚えていてくださる方、けっしてお忘れになることのないお方に向かって、思い出してください、忘れないでいてください、覚え続けていてください、と祈る。
信仰は、私が主を覚えることを越えて、主が私を覚えていてくださる、ことを、信じることです。
私たちは、主を忘れてしまいます。しかし主はけっしてお忘れにならない。私たちが忘れている時も、主は覚えていてくださる。
その覚え続けていてくださる主を思い出す。そうして主に帰る。それがまた信仰だと思います。
どのような時に私たちは主を思い出すのか。どうすれば主を忘れずに覚えていることができるのか。
ヨナは「私のたましいが私のうちで衰え果てたとき」に、主を思い出した、と祈りました。
たましいが衰え果てるとき。欄外注を見ると、いのちが衰え果てるとき。そのとき、私たちは主を思い出す。
たましいが衰え果てるような出来事にはできるだけ出会いたくありませんが、しかしそのような出来事にも意味があります。意味にはいろいろなものがあると思いますが、主を思い出す、という恵みがそこに隠されているとすれば、そのような出来事も大切なものなのだと思います。
そうして祈られる祈りは、必ず主に、主の聖なる宮に届きます。