もし彼が自分の正しさに拠り頼み、不正を行うなら

静まりの時

  • テーマ:道をえらぶ
  • 聖書箇所:エゼキエル33・1~20
  • 日付:2026年02月12日(木)

13 わたしが正しい人に「あなたは必ず生きる」と言っても、もし彼が自分の正しさに拠り頼み、不正を行うなら、彼の正しい行いは何一つ覚えられず、自分の行った不正によって死ななければならない。

不正を行う原因を、「自分の正しさに撚り頼む」ことにある、と聖書は語ります。不正の中身はたんなる罪だけではありません。一見良いことのように見えても、それが自分の正しさに撚り頼んでのことであれば、それは不正なのです。聖書はそう語ります。

自分の正しさに撚り頼み続けるならば、その先にあるのは滅びです。
私たちは、自分の正しさではなく、神さまの正しさに撚り頼まなければなりません。神さまの正しさに撚り頼んで生きるならば、いのちを得るのです。

8 わたしが悪しき者に『悪しき者よ、あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もし、あなたがその悪しき者に、その道から離れるように警告しないなら、その悪しき者は自分の咎のゆえに死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。

神さまのことばは時に厳しいものです。しかしもし宣べ伝えることをしないならば、神さまはその責任を問われると聖書は語ります。神のことばを語ることの厳しさはここにあります。

逆に厳しいことであるということが分からないで宣べ伝えられる、ということであれば、それは宣べ伝えることにならないのだと思います。神のことばを語るとき、それは厳しいことばを語ることである、ということを分かっていたいと思います。医者が患者に病状を告げるときに、それが患者の心にどのように響くかを分かっていないならば、その言葉自体が患者を苦しめるのだと思います。それと同じように、自分の語ることばの波紋力みたいなものを知っていたいと思います。


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