静まりの時
- テーマ:聖別された者
- 聖書箇所:ルカ10・1~16
- 日付:2026年01月31日(土)
16 あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのです。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのです。」
主は弟子たちを遣わされます。全能の神であるお方が、ご自分の向かうところに弟子を遣わされます。
主は手が足りないわけではありません。ご自身で何でもできるお方です。その主が弟子たちを遣わされます。
私たちは、人びとにとっては躓き以外の何ものでもないと思います。にもかかわらず主は私たちを遣わされます。しかも私たちに耳を傾ける者は主に耳を傾けたのだといわれます。逆に私たちを拒む者は主を拒むのであり、主を拒む者は、神を拒むのだと言われます。驚くべきことです。
私が神ならば、私など決して遣わさないと思います。もっと有能で、愛にあふれ、賜物豊かな者を遣わすのがあたりまです。主は私のことを買いかぶっておられるのか。私のことをあまりよく知らないでおられるのか。美しい誤解をしておられるのか。そうではありません。主は、私たちのことをよくご存じの上で、私たちを遣わされるのです。
主は私たちを遣わすという冒険をされるのでしょうか。冒険であればあまりにも無謀です。主は「ご自分が行くつもりのすべての町や場所に」私たちを遣わされるのです。主は私たちを遣わしてほったらかしにされるのではありません。私たちと一緒に働くことをお望みなのだと思います。一緒に働くことを喜びとされるのです。もったいないことです。
遣わされるにあたり自分を見れば恐れしかありません。しかし主が伴ってくださることを見失わないでいたいと思います。