あなたがたは御使いたちを通して律法を受けたのに、それを守らなかったのです

静まりの時

  • テーマ:主の神殿
  • 聖書箇所:使徒7・44~53
  • 日付:2025年12月11日(木)

51 うなじを固くする、心と耳に割礼を受けていない人たち。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖たちが逆らったように、あなたがたもそうしているのです。
52 あなたがたの先祖たちが迫害しなかった預言者が、だれかいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって告げた人たちを殺しましたが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。
53 あなたがたは御使いたちを通して律法を受けたのに、それを守らなかったのです。

人びとのねたみから捕らえられ最高法院で裁判を受けることになったステパノは、偽りの証人たちの証言を聞いた大祭司から「そのとおりなのか」と問われました。ステパノはその問いに応えるべく「兄弟ならびに父である皆さん、聞いてください」と語り始めました。その長い説教のようなステパノのことばの最後の部分が、今朝のみことばです。

ステパノは自らを訴える人びとに対して「あなたがたは御使いたちを通して律法を受けたのに、それを守らなかった」といいました。律法を守っていない。

どのように律法を守っていなかったのか。「彼らは、正しい方が来られることを前もって告げた人たちを殺しましたが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました」。先祖たちは預言者を迫害し殺したが、その預言者たちは正しい人、すなわちイエスさまをを指し示していた。そのイエスさまを、あなたがたは殺したのだ、と。つまり、イエスさまを殺したこと、それが律法を守らなかったことなのだ、とステパノは語ったのです。そしてそれが、聖霊に逆らうこと、であり、うなじを固くすること、心と耳に割礼を受けていないことなのだ、と語ります。

正しい方を殺す、それが聖霊に逆らうことである。なぜ殺すのだろうか。イエスさまは、まがったものとしてではなく正しい方として私の前に立ってくださいます。私を導くために、私を支えるために。しかし自分こそ正しい、と考える者にとっては、そのイエスさまがじゃまでしかたがない。羊飼いは自分を正しく導くものですから、羊飼いのすることがいつも自分を満足させることばかりではありません。自分中心に生きようとする羊にとってはそれがじゃまでしかたないのです。

救われる、ということは、この羊飼いを自分の主とすることですが、羊飼いを信じたと口では言いつつも、結局は自分中心に生きている、とすれば、結局聖霊に敵対していることであり、自らを滅ぼすことなのです。そしてそれこそ律法を守らないことなのです。

ステパノは、御使いの顔のように(6.15)であったといいますから、輝いていたのだと思います。そうして語られたみことばは、自分たちを生かすものだったのですが、彼らは聞こうとせず、ステパノを殺してしまいました。


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