わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である

静まりの時

  • テーマ:主の日に向かって
  • 聖書箇所:黙示録22・16~20
  • 日付:2025年11月29日(土)

16 「わたしイエスは御使いを遣わし、諸教会について、これらのことをあなたがたに証しした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」

イエスさまは、「ダビデの根」「子孫」「輝く明けの明星」です。

「根」は共同訳などでは「ひこばえ」と訳されています。切り株から新芽が芽吹く。死んだように見えて、しかしそこにはいのちがある。時が来ると再びそのいのちがあふれてくる。まことの神の国を立ち上げ、その国の王として立ち上がってくださる。暗闇を照らす明けの明星として輝いてくださる。イエスさまは、私たちの主として、その本領を発揮してくださる。私たちはその日を待ち望んでいます。待ち望みつつ、今日の日を生きています。

明星(みょうじょう)は、あかぼし、と読んで、賛美歌でも歌われています。降誕される主を現す言葉です。明けの明星とともに、宵の明星ということばもあります。いずれも金星のことですが、暗闇のなかにいときわ輝く星は、古くから人びとの心に留まったのだと思います。その多くは希望の星として人びとを慰め力づけたのだと思います。

ウォーキングをしていると、東の空にうっすらと月が出ていました。午後2時過ぎですから、まだ太陽が輝いている時間です。目を凝らしてよく見ないと見えないのです。しかし確かに月は東の空に浮かんでいました。ちょうど半月になる日ですから上弦の月というのでしょうか。

明るさの中では月も星も見えないのですが、暗闇がそれらを輝かせます。暗闇が深いほど、月も星は輝きます。人生の暗闇はけっして喜ばしいことではありませんが、しかし主がよりいっそう輝いていてくださることを見失わないでいたいと思います。信仰の目を凝らしてみるならば、確かに見えるのです。主はつねにともにいてくださり、いのちを注いでくださいます。


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