静まりの時
- テーマ:主の日に向かって
- 聖書箇所:第二ペテロ3・8~13
- 日付:2025年11月28日(金)
11 このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。
私たちは主の日、すなわちこの世の終わりがやってくることを信じています。そのとき「すべてのものが崩れ去る」、聖書はそう語ります。すべてのものが崩れ去るので、私たちは今この時に聖なる敬虔な生き方をしなければならない、と語ります。それはどれほど聖なる敬虔な生き方をしても足りないほどに、聖なる敬虔な生き方をしなければならないというのです。
敬虔とは、より深く神さまを礼拝する、大切にする生活のことです。それに、聖なる、という言葉がついています。敬虔な生活は、それ自体聖なるものだと思いますが、さらに聖であるようにと強調されているようです。
聖とは、きよいということですが、神さまのものとなっている、という意味ですから、人間的に見てきよいということではなく、神さまから見てきよいということが大切です。
聖なる敬虔な生き方をする。それはすべてのものが崩れ去ることを知っていることによって生まれるものです。この世のものにはいつか必ず終わりがやってくる。だからそれらを頼みとしない。少なくとも絶対的なものとしない。
すべて、とは、私たちにとって良いことも悪いことも、ということです。とにかく一切合切に終わりがやってきます。
すべてのものが崩れ去る、というので、刹那的な、その場限りの生活をしてしまうことも想像されますが、キリスト者はそうはしません。すべてのものが崩れ去るからこそ、日々を大切に生きます。
それは、確かな希望を、いただいているからです。
「私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」(13)
すべてのものが崩れ去るのは、この「義の宿る新しい天と新しい地」がやってくるためです。私たちはその時を待ち望んでいます。待ち望んでいるからこそ、日々、聖なる敬虔な生き方をするのです。刹那的な生き方は、待ち望んでいない生き方なのです。