静まりの時
- テーマ:仕える
- 聖書箇所:ルカ14・7~11
- 日付:2025年11月15日(土)
7 イエスは、客として招かれた人たちが上座を選んでいる様子に気がついて、彼らにたとえを話された。
8 「結婚の披露宴に招かれたときには、上座に座ってはいけません。あなたより身分の高い人が招かれているかもしれません。
9 あなたやその人を招いた人が来て、『この人に席を譲ってください』と言うことになります。そのときあなたは恥をかいて、末席に着くことになります。
10 招かれたなら、末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『友よ、もっと上席にお進みください』と言うでしょう。そのとき、ともに座っている皆の前で、あなたは誉れを得ることになります。
11 なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
このたとえは、身の程を知らずに上席につくと、後から来た身分の高い人に席を譲ることになりかねないので、まずは末席に着きなさい、といっているように思えますし、遠慮したり謙遜にしていると、誰かが、そんなところにいないでもっと上席に座ってください、といってくれるので、そうして上席についた方が気分がいい、といっているような気もします、がそういうことを言っているのではないことは確かです。そういう処世術や人間関係の方法を語っているのではないのです。聖書はイエスさまの救いを宣べ伝えている書物ですから。
「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる」
この、最後の言葉の「高くされる」という言葉を、いわゆる、上席に着かせてくださる、と理解すると、このたとえは間違って理解することになると思います。
上席、とはいったいなんでしょうか。イエスさまを信じて以来、私たちにとって上席とはいったいどのような席のことでしょうか。イエスさまを信じてもなお、この世の基準で、上席、を求めているような生き方をしているのでしょうか。もしそうであれば、このたとえは、やはり、単なる処世術としてしか理解できないと思います。
私たちにとって、真の上席とは、イエスさまがおられるところです。イエスさまは、まことの神であるにも関わらず、まことの人となってこの地に降ってくださいました。そのイエスさまを、父なる神さまは高く上げてくださいました(ピリピ2章)。
私たちが座るべきところ、そして立つべきところは、このイエスさまがおられる末席です。そこが、何よりも上席なのです。末席に上席を発見する。それがキリスト者の生き方です。そしてそこにこそまことの平安と喜びがあるのです。