静まりの時
- テーマ:死に打ち勝つ
- 聖書箇所:ローマ14・7~12
- 日付:2025年11月08日(土)
7 私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。
8 私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
9 キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、主となるためです。
主のために生きている。主のために死ぬ。そうして生きるにしても死ぬにしてもイエスさまが主となってくださった。それが救われる、ということであり、信仰に生きる、ということである。
イエスさまにお出会いするまでは、自分が主だったのです。生きるにしても、死ぬにしても自分が主人でした。それが幸せに生きる道だと信じて疑わなかったのです。
しかしそれでは、死を克服することができません。死の前に自分は完全に無力です。その無力な自分が主であれば、死を前にして恐怖するしかありません。なすすべがありません。
しかし、イエスさまは復活されました。十字架の死を経て復活されたのです。罪を完全に解決し、罪のとげであった死を滅ぼされたのです。このお方を主として、私たちは死を前に、新しい平安をいただきます。
この平安は、もはや死を前にしてじたばたしなくてもよい、という平安ではありません。死を前にして安心してじたばたすることの出来る平安です。どんなにじたばたしても私たちの主は、主であることをお止めにはなりません。私たちは生きるにしても、死ぬにしても、もう主のものなのですから。
イエスさまが主となってくださったのですから、ともに生きる人を、そして自分さえもさばいたり見下したりすることから解放されました(10)。みなそれぞれイエスさまの前に、すなわち主の前に立つのですから、さばきはその主にお委ねしたのです。