静まりの時
- テーマ:いのちのみことば
- 聖書箇所:ヨハネ5・30~39
- 日付:2025年09月29日(月)
39 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。
「聖書を調べる」。聖書を読む、ではなく、聖書を調べる、という言葉から、聖書についての少し特別な印象を受けます。例えば、誰かからラブレターをいただいたとして、私たちはラブレターを読むとはいいますが、ラブレターを調べる、とはいいません。もしラブレターを調べる、といったら、何やらそのラブレターに隠された謎があるようで、ややもするとそこに不信感さえ持っているのではないか、ということになるのではないか。本当にあの人が書いたものだろうか、愛するとは書いてあるがそれは本当だろうか、何か秘密が隠されているのではないか、本当は何か別のことを伝えようとしているのではないか、などなど。もはやラブレターではなくなってしまっているようなことです。
そんな人間の姿に対してイエスさまは言われました。「その聖書は、わたしについて証ししているものです」。イエスさまご自身について書いている、とも読めますが、それ以上に、イエスさまについて証ししているもの。イエスさまについて、論評や研究書のように書いているというのではなく、聖書そのものが、イエスさまを証ししている。聖書の言葉を読むとき、そこにイエスさまご自身が立ち現れてくださる。そういう意味だと思います。
その立ち現れてくださったイエスさまの前に、読む者自身が立つ、立たされる。それが聖書を読むということです。聖書を調べるというと、読む私が裁判官のようになってそこに書かれていることを判断しようとすることですが、聖書を読むということは、私自身が聖書において立ち現れていくださるイエスさまの前に立つ。そうして私の方が判断される、さばかれる。それが正しい聖書の読み方です。
そうして永遠のいのちであるイエスさまご自身にお出会いするということが実現し、永遠のいのちに生かされるということが起こり得るのです。