静まりの時
- テーマ:結婚
- 聖書箇所:箴言31・10~31
- 日付:2025年09月16日(火)
10 しっかりした妻をだれが見つけられるだろう。
彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い。
30 麗しさは偽り。美しさは空しい。
しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。
31 彼女の手が稼いだ実を彼女に与え、
そのわざを町囲みの中でほめたたえよ。
「有能な妻」と表題が付けられている個所ですが、妻だけではなく夫にも当てはめて読まなければならないと思います。外見ではなく、その品性や働きこそ、伴侶の真価を明らかにするものである、ということでしょう。
旧約聖書続編にシラ書(集会の書)というのがありますが、その中には「悪妻と良妻」と表題が付けられている個所があります。
16 ライオンや龍と暮らすほうが 悪妻と一緒に暮らすよりはましだ。(シラ書(集会の書)25・16)
悪妻、あるいは悪夫とならないように心掛けなければなりませんが、あらぬ言いがかりならば、大いに反論しなければなりませんね。
人選における基準として大いに参考となる文章に出会いました。
ほとんど語られないことですが、品性と成育歴は指導者に大きな影響を与えています。一般的に人は指導者を品性ではなく能力で選びます。キリストのからだの指導者の選定は、持って生まれた能力ではなく、霊的成熟とキリストらしさを基本にすべきです。キリスト教界ではあまりに未成熟な指導者が、霊的な成熟さでなく、賜物のゆえに権威の座につくのを私たちは目撃してきました。語り口がさわやかで神学的洞察が深ければ、人格的に成熟し正直でもあるはずだと思い込んではなりません。繰り返しますが、神学的な真理を説明する能力のある人が必ずしも神に忠実なしもべということを意味しません。残念ながら、奉仕活動の成功はうぬぼれに陥りやすいのです。
教会の働きは、奉仕活動への召しではありません。私たちの本当の働きは、成功しようが失敗しようが批判されようがほめられようが、すべてにおいてキリストにならう姿であることです。もし数・成長・名声が神の基準なら、イエスは失敗者になります。キリストにならうことは、外面的に計られるのではなく、御霊の実を結ぶ度合いによります。数ではなく寛容さです。名声ではなく謙遜と自制です。
(ダイアン・ラングバーグ、『パワハラ・セクハラとキリスト教会―権威とその乱用』、前島常郎訳、ヨベル、2024年、188頁f)