静まりの時
- テーマ:結婚
- 聖書箇所:エペソ5・22~32
- 日付:2025年09月14日(日)
この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。
結婚式において読まれることの多い個所だと思います。キリストと教会との関係になぞらえて、夫婦の関係を語っているようですが、おそらく夫婦の関係になぞらえて教会のあり方を語っている、と理解するほうが正しいのかもしれません。
薪は一本で燃えていると小さな火でしかないが、多くの薪と一緒に燃えるならば大きな火になり、その一本も燃え続けることができる、といった譬えをもちいて、教会に集うことの意味が語られたことがあると思います。なるほどと思うのですが、この譬えは、自分が信仰に燃え続けるために、教会が道具のようなことになってしまうのではないか、とも思えてきます。もし集った教会が自分を燃やしてくれるような教会でなかったら、もっとよく燃やしていただける教会を探してさ迷い歩く、ということになるのではないか、と。教会と一(いち)キリスト者とはそのような関係なのだろうか。教会に集うキリスト者は、観劇に集うお客さんのようなものなのだろうか。キリストを主と仰ぎ見る者にしていただいたにも関わらず、それではいつまでも自分が主人のままなのではないか。
パウロは、キリストを信じキリストに従うキリスト者は、キリストと教会が一つのように、教会と私たちは一つである、と言いたかったのではないかと思います。ここが崩れると、どこまでも自分中心の信仰生活となり、キリスト教本来の祝福に生きることが難しくなるのではないだろうか。