イサクを死者の中から取り戻したのです

静まりの時

  • テーマ:親と子
  • 聖書箇所:ヘブル11・17~19
  • 日付:2025年09月12日(金)

17 信仰によって、アブラハムは試みを受けたときにイサクを献げました。約束を受けていた彼が、自分のただひとりの子を献げようとしたのです。
18 神はアブラハムに「イサクにあって、あなたの子孫が起こされる」と言われましたが、
19 彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできると考えました。それで彼は、比喩的に言えば、イサクを死者の中から取り戻したのです。

イサクはアブラハムの子であるとともに、子孫の約束の子でもありました。イシュマエルではなくイサクによって子孫が続くと約束されたそのイサクを、神さまは献げよと言われたのです。つまりただ自分の子を献げよ、と言われただけではなく、神さまの約束そのものを献げよ、と言われたのです。

アブラハムは神さまに従って献げました。信仰によって献げました。

信仰とは、神さまの御約束そのものを、献げること。すなわち自らの手から離すことです。自分の手に握りしめることではありません。委ねることなのです。それが復活の信仰に生きることなのだと思います。

そうしてアブラハムはあらためて、イサクを取り戻しました。19節は、共同訳2018では次のように訳されています。

アブラハムは、神が人を死者の中から復活させることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいました。これは復活を象徴しています。

神さまに御手にゆだねる信仰は、復活を信じる信仰である。その信仰に生きて、献げる、委ねるならば、あたらしく「返してもらえる」。

子どもは象徴的な意味において、しっかりと親の手から離されたとき、親との新しい関係に生きるものとなるのだと思います。いつまでも親の手の中に、さまざまな意味で置かれてしまっている子ども、献げられていない子どもは、親との健やかな関係のなかに生きるのが難しいのかもしれません。


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