静まりの時
- テーマ:親と子
- 聖書箇所:第一ヨハネ2・12~17
- 日付:2025年09月10日(水)
12 子どもたち。私があなたがたに書いているのは、
イエスの名によって、
あなたがたの罪が赦されたからです。
ヨハネが手紙を書く理由、今までも書いてきた理由は、イエスの名によって読者の罪が赦されたからである、と書かれています。ヨハネは、罪赦された者、すなわちイエスさまを信じて新しく生まれ、信仰生活を歩んでいる者に向かってこの手紙を書いている、と語ります。
聖書は、いまだイエスさまを知らない人が、読んでイエスさまに出会う書物である、とともに、第一義的にはすでにイエスさまを信じて救われている、という人たちに向かって書かれているのです。
すでにイエスさまを信じている人が、み言葉を語られなければならない。イエスさまを信じている者こそ、み言葉を聞かなければならない。キリスト者の信仰生活のあり方が記されているように思います。
イエスさまを信じてもなお、み言葉を聞かなければならないのは、み言葉がそれだけ壮大な内容をもっていて、聞いても聞いても聞き尽くすことができない、ということもあるかもしれません。
しかしそれ以上に、聞く私たちが忘れやすい者、み言葉を聞いてもそれに従うのが簡単ではない、ということがあるのではないか、と思います。
聞いても聞き尽くすことができないほどに壮大な内容であるとすれば、語られるみ言葉の内容は毎回新しいものでなければならないことになりますが、私たちが忘れやすいということで語られるとすれば、毎回語られる内容はほぼ同じ内容でなければならないことになります。
み言葉を聞いても、その意味は分かっているけれども、一向にみ言葉に生きようとしないならば、毎回、み言葉を聞かなければなりません。
み言葉はもちろん豊かな内容を持っているものではありますが、結局私たちが聞かなければならない忘れやすいこと、すなわち、神さまは私を愛している、ということを聞き続けなければなりません。
イエスさまによって罪赦され、神さまを知った者は、何度でも、神さまは私を愛している、ということを聞き続けなければならないのです。