静まりの時
- テーマ:愛の掟
- 聖書箇所:ローマ13・8~10
- 日付:2025年09月06日(土)
8 だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことは別です。他の人を愛する者は、律法の要求を満たしているのです。
9 「姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。隣人のものを欲してはならない」という戒め、またほかのどんな戒めであっても、それらは、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」ということばに要約されるからです。
10 愛は隣人に対して悪を行いません。それゆえ、愛は律法の要求を満たすものです。
借りのまったくない人生はないと思います。誰しも何らかの借りをいただいて今を生かされています。産んでいただいた、育てていただいた、いま生かされているお互いの間において見えない愛の配慮をいただいている。みなさまざまな借りをいただいて生かされています。その見えない借りを忘れないで感謝の心をもって生きていきたいと思います。
しかしできるだけ借りのないように生きることも大切であるとパウロは語るのだと思います。それが律法の要求を満たすことである、と。
しかし愛においては別である、人を愛する者は、それによって律法の要求を見たいしてるからである、と語ります。
そもそも愛する、ということにおいては借りの連続です。貸し借りがないという愛は、もはや愛ではないのだと思います。
律法のどんな戒めであっても、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」ということばに要約されている、といいます。要約されている、ということは、まとめるとそういうこと、ということですから、たとえば、私は、姦淫していません、殺してはいません、盗んではいません、隣人のものを欲してはいません、と胸を張っていうことのできる生活をしていたとしても、その生き方が愛とは程遠いものであるとすれば、律法を全うしていないことになります。
愛は隣人に対して悪を行わない、だから愛は律法の要求を満たすものである、といいます。愛という名のもとて、隣人に対して悪を行なっているとすれば、それは愛ではなく、律法の要求を満たしているとはいえないのです。わざわざ悪を行なおうとする人は少ないと思います。結果的に悪になってしまった、そんなつもりではなかったのだけれど相手に悪となることをやってしまった、そういうお互いではないかと思います。そうであれば、すでに借りがあるのですから、そのことをわきまえながら、愛に生きる道を選択したいと思います。
愛に生きることはたやすいことではありませんが、愛に生きる道を選択する心構えを持っていたいと思います。