静まりの時 ヤコブ3・13~18〔正義と平和〕
日時:2025年08月19日(火)
18 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人々によって平和のうちに蒔かれるのです。
義の実を結ばせる種は、平和をつくる人びとによって蒔かれる。しかも平和のうちに蒔かれる。
平和のうちに蒔かれる、のであって、戦いのうちに蒔かれるのではない。
義の実を結ばせる種を蒔くことは、平和をつくることである。平和をつくるという目的のために、義の実を蒔くのであるが、その平和をつくるという目的を達成できるならば、手段はどうでもよいというのではない。手段も大切である。あるいは手段こそ大切である。平和のうちに蒔かなければならない。戦いのうちに蒔かれるようなことであれば、そこで実現するのは、平和とは似て非なるものである。そこには義の実が結ばれることはない。
人間の歴史は戦いの歴史でもあります。21世紀を迎えてもなお戦いは止みません。侵略戦争がいけないことぐらいはみな知っているのですが、どうして戦いは止まないのか。すべての戦争は大義を掲げての防衛戦争と主張されて始まっている。すべての戦いは、正義の戦争、自国を守るための戦争なのだというわけです。平和をつくるための戦いなのだ、というのです。しかし聖書は、平和のうちに蒔かれることでないと、そこには義の実が結ばれることも、平和が築かれることもないといいます。
ここしばらく、ヘイト・スピーチ、ヘイト・クライム、排外主義、人種主義にまつわる本を何冊か読んだのですが、そこに「憎悪のピラミッド」というヘイト・クライムを考える上での重要な考え方が書かれています。
憎悪のピラミッドの頂点に「ジェノサイド」があります。ジェノサイドとは意図的、組織的な大量殺戮のことです。その下に「暴力行為」(殺人、テロ、強姦、放火等)、その下に「差別行為」(教育差別、就職差別、住民差別等)、その下に「偏見による行為」(いじめ、嘲笑、社会的回避等)、そして最下位に「偏見による態度」(冗談、敵意の表明、マイクロアグレッション等)。マイクロアグレッションとは、日常的な言動の中での無意識の偏見、固定観念に基づいて特定の人を傷つけること。
ジェノサイドはいきなり起こるのではありません。最初は冗談や敵意の表明、マイクロアグレッションなどが生まれ、それが偏見に膨れ上がり、さらに差別行為に進んでしまい、具体的な暴力から、ジェノサイドとなる、というのです。ジェノサイドを起こさないためには、普段からのことば、何気ない会話、冗談のつもりで誰か傷つけてしまうような行為。つまり平和でないことが起っている。そういうことが、あるときを境に、あるいは何かをきっかけに暴走し大きな戦い、テロ、そして殺戮を生み出す。
約100年前の関東大震災で起こった日本人による外国人に対する殺戮は、その前から日本の中に醸成されていた差別感情によって引き起こされたところが大きいと言ったようなことが書かれていたと思います。間違った正義感が人びとを殺人者、凶悪犯罪者に仕立て、何の罪もない人びとを殺していったのです。正義を実現しようとして、人殺しをしたのです。昨今の社会情勢を見ると100年前と何ら変わっていないのかもしれません。先の戦争に対してしっかりと向き合うことがない限り何ら変わらないことは当然のことなのかもしれません。
平和のうちに種を蒔かなければなりません。