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私は言います。御霊によって歩みなさい

静まりの時 ガラテヤ5・16~26〔聖霊を受ける〕
日付:2025年06月12日(木)

16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。
17 肉が望むことは御霊に逆らい、御霊が望むことは肉に逆らうからです。この二つは互いに対立しているので、あなたがたは願っていることができなくなります。

 「肉が望むこと」、「御霊が望むこと」、そして「あなたがたが願っていること」。
 肉のわざは明らかです。「淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のもの」。
 一方、御霊の実は「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」。
 この二つは互いに対立している、とパウロは語ります。対立しているので、この両者が混在していると、「あなたがたが願っていること」に生きられなくなる。
 「あなたがたが願っていること」に生きるためにはどちらか一方に生きなければならない、とも読むことが出来ますが、聖書は「御霊によって歩みなさい」と語りますので、「あなたがたが願っていること」に生きるためには、御霊が望むことに生きなければなりません。
 すなわち「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」に生きる時、私たちは「あなたがたが願っていること」に生きることが出来る。

 私の願っていることはいったい何だろうか。あるときには、御霊の願っていることではなく、肉の願っていることこそ、私の願っていることではないだろうか。しかし本当にそれが私の願っていることだろうか。私の願っていることを私自身が本当に分かっているのだろうか。分かっていないのではないだろうか。私の願いに生きたことによって、結局私の願いに生きることが出来なくなってしまったことがどれだけあったことだろうか。
 私の願いに生きる。そのために、御霊によって歩む、御霊に導かれるのだと思います。御霊に導かれて生きることこそ、本当の自分自身に生きることなのだと思います。


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