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聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます

静まりの時 使徒の働き1・6~11〔聖霊の約束〕
日付:2025年06月05日(木)

7 イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。
8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」

 弟子たちは復活の主に向かって、イスラエルの再興はいつか、と尋ねました。それに対してイエスさまは、それは父なる神さまがご自分の権威をもって定めておられることなので、あなたがたの知るところではない、と答えられました。知らないでよい、という意味ではありますが、それ以上に、そのような問いをすること自体、父なる神さまの権威に踏み込む越権行為である、といった強い口調のように思います。
 「いつとか、どんな時とかいうこと」を問う宗教はたくさんあります。キリスト教会も歴史を振り返ると例外ではありませんでした。しかし人間であるということは、いつであるのか、という問いをしない、というところにとどまっていなければなりません。

 しかし、聖霊が臨むときが必ずやってくる。主はそう言われました。文脈からそれがイスラエルを再興されるときとも読めると思いますが、もしそうであったとしても、イエスさまのお考えには、いわゆるイスラエル国家の再興があったのではないと思います。イエスさまにとっては、新しいイスラエル、すなわち「教会」の始まりと前進こそ、この聖霊が臨むときに実現することでした。
 そのときに弟子たちは力を受けます。どのような力なのか。それは、イエスさまの証し人となる、という力です。聖霊の力とは、イエスさまの証し人ととして力です。
 この世には様々な力があります。また様々な力が求められています。しかし教会が語る力、聖霊の力とは、ひたすらイエスさまの証し人としての力、イエスさまを証しする力です。様々な力が語られたとしても、そこにイエスさまが証しされていないとすれば、それは聖霊の力ではありません。


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