静まりの時 使徒16・1~15〔地の果てまで〕
日付:2025年05月28日(水)
3 パウロは、このテモテを連れて行きたかった。それで、その地方にいるユダヤ人たちのために、彼に割礼を受けさせた。彼の父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。
4 彼らは町々を巡り、エルサレムの使徒たちと長老たちが決めた規定を、守るべきものとして人々に伝えた。
救いにおいて割礼は必要がないと主張したパウロたちと、割礼は必要であると主張した人たちとの間に論争が生じ、その解決のために開かれた会議(15章)によって、あらためて割礼は必要でない、との結論が出されました。その「エルサレムの使徒たちと長老たちが決めた規定」を守るべきものとして人びとに伝えるために、テモテ、を連れて生きたかったパウロは「その地方にいるユダヤ人たちのために」割礼を受けさせました。別訳では「ユダヤ人の手前」。割礼は必要ありません、と伝えるために、連れて行ったテモテに割礼を受けさせたのです。不思議というか、おかしい、というか、整合性がない、二枚舌、とも揶揄されるところです。しかしここに、パウロたちのユニークさ、そして彼らの宣教に対する必死さを見て取ることができます。
5 こうして諸教会は信仰を強められ、人数も日ごとに増えていった。
6 それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。
7 こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった。
8 それでミシアを通って、トロアスに下った。
9 その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。
10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。
聖霊によって禁じられた、イエスの御霊がそれを許さなかった。これも不思議な言葉です。神さまが宣教の道を塞いでおられるとも取れる言葉です。しかしこれは彼らが思ってもみなかった道を開くための大切なことでした。彼らが思ってもみなかったもの。それは異邦人の地での宣教です。彼らはこのような導きによって、異邦人の地マケドニアに渡ることにしました。エーゲ海の向こうに向かって出帆したのです。
11 私たちはトロアスから船出して、サモトラケに直航し、翌日ネアポリスに着いた。
12 そこからピリピに行った。この町はマケドニアのこの地方の主要な町で、植民都市であった。私たちはこの町に数日滞在した。
13 そして安息日に、私たちは町の門の外に出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰を下ろして、集まって来た女たちに話をした。
14 リディアという名の女の人が聞いていた。ティアティラ市の紫布の商人で、神を敬う人であった。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。
15 そして、彼女とその家族の者たちがバプテスマを受けたとき、彼女は「私が主を信じる者だとお思いでしたら、私の家に来てお泊まりください」と懇願し、無理やり私たちにそうさせた。
新しい地で彼らは数日滞在します。そして安息日、すなわち土曜日に、祈り場があると思われた川岸に行きました。そこで集まっていた女性たちに話しをしました。見知らぬ地で女性たちに話しかける。それだけで首をかしげるようなことだったのだと思いますが、それは「数日滞在した」結果導き出されたことだったのかもしれません。それによってこの地の宣教が前進しました。
「リディアという名の女の人が聞いていた」。彼らの話しに耳を傾ける人たちばかりではなかったと思います。しかし神さまは彼らの話しに耳を傾ける人を用意していてくださいました。一人の女性でした。
一人の女性。彼女がこの地の宣教の初穂となりました。パウロたちは大伝道集会を開催したわけではありません。一人の人にイエスさまの愛を伝えたのです。それが始まりとなりました。