,

死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、

静まりの時 ローマ8・31~39〔キリストの愛のうちに〕
日付:2025年05月17日(土)

34 だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。

 罪が赦される。それはキリスト・イエスによって実現しました。私たちを「罪あり」とすることのできる力を持った唯一のお方であるイエスさまが、ご自身のいのちをもって私たちをあがなってくださいました。十字架によって赦しは実現したのです。
 ここには、その十字架だけではなく「よみがえられた方」でもあるキリスト・イエスによってまた赦しは実現した、と語られています。その復活した方が、私たちのために「とりなし」ていてくださる、それがまた私たちの罪が赦される根拠である、と語るのです。

 私たちの罪のためにいのちをささげてくださった方が、そのまま死の中におられたならば、はたして私たちは罪が赦されていることを受け取ることが出来るのか。「あなたのためにこんなにひどい犠牲を払ってあげました。いまもその苦しみの中に置かれています」ということを聞いて私たちは平安を持つことが出来るのか。もし本当にイエスさまを愛しているというのならば、そのような状況はいたたまれなくて、赦しを受け止めることなどできないのではないか。
 聖書は、キリスト・イエスはよみがえられた、いまは父なる神さまの右に座して、私たちのためにとりなしてくださっている、と語ります。私たちのために、今もなお、とりなしていてくださるのです。愛していてくださるのです。私たちはこの復活のキリストに出会ってこそ、罪の赦しを受け取ることが出来ます。

「だれが私たちに敵対できるでしょう」
「だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか」
「だれが、私たちを罪ありとするのですか」
「だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか」

「・・・そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」。


投稿日

カテゴリー:

,

投稿者:

タグ: