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地が芽を出し、 園が蒔かれた種を芽生えさせるように

静まりの時 イザヤ61・4~11〔豊かないのち〕
日付:2025年05月08日(木)

11 地が芽を出し、
 園が蒔かれた種を芽生えさせるように、
 神である主が、正義と賛美を
 すべての国々の前に芽生えさせるからだ。

 神さまは、植物が大地に芽生えるように、すべての国々のまえに、正義と賛美を芽生えさせてくださいます。
 正義と賛美。新共同訳では、恵みと栄誉と訳されていました。

 正義は恵みである。あるいは恵みでない正義は正義ではない。
 正義、義、正しいとは、不正のうえに生きている者にとっては、恵みではないのですが、ひたすら義に飢え渇く者にとって恵みです。主は山上の説教の中で「義に飢え渇く者は幸いです。その人は満ち足りるからです」と言われました。満ち足りる幸いに生きるためには、義に飢え渇く必要があるのです。

 義は、神さまによって与えられる恵みである、とも読めるのではないか。
 人間がいたずらに義を成り立たせようとすると、他者をさばき、社会をさばき、自分自身をさばくことになります。しかし主が為してくださることならば、それを待ち望めばよいことになります。
 義が行われていない現実の中に生きなければならないとき、自らの力で義を成り立たせなければならないという焦りから解放され、主がなしてくださることを信じて待ち望む。あきらめではなく希望に生きる。そういう平安に満ちた生き方が生まれるのではないか。


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