静まりの時 詩篇128・1~6〔豊かないのち〕
日付:2025年05月07日(水)
1 幸いなことよ
主を恐れ 主の道を歩むすべての人は。
2 あなたがその手で労した実りを食べること
それはあなたの幸い あなたへの恵み。
3 あなたの妻は 家の奥で
たわわに実るぶどうの木のようだ。
あなたの子どもたちは 食卓を囲むとき
まるでオリーブの若木のようだ。
4 見よ 主を恐れる人は
確かに このように祝福を受ける。
ぶどうの木、オリーブの木は、聖書の文化の中では日常的な植物で、日々の生活を営むために不可欠のものだったのだと思います。主を恐れる(畏れる)ことが、その人の人生において具体的な祝福の実を結ぶ、のです。
信仰は、どちらかというと精神的なことを扱っているようにも思えますが、聖書はそれだけではなく、生活の全般における祝福を語ります。
主を「恐れる」、は他の訳では「畏れる」、すなわち恐怖するのではなく、畏敬の念を持つことです。畏敬とは、かしこまり敬うこと、とありますが、大切にすること、愛することだと思います。あるいは何にをするにも第一番目に考えることです。
過去の出来事、日々起こる出来事の中にも、そこに神さまに御手を発見する。
語ろうとすること、行おうとすることに、神さまのみこころを求める。
明日のことを神さまに御手にゆだねる。
そのように神さまを第一番目に考えるならば、その人生は豊かな実を結ぶのです。