,

神が、すべてにおいてすべてとなられるためです

静まりの時 第一コリント15・20~28〔復活の信仰〕
日付:2025年04月26日(土)

26 最後の敵として滅ぼされるのは、死です。
27 「神は万物をその方の足の下に従わせた」のです。しかし、万物が従わせられたと言うとき、そこには万物をキリストに従わせた方が含まれていないことは明らかです。
28 そして、万物が御子に従うとき、御子自身も、万物をご自分に従わせてくださった方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。

 死は、最後の敵である、と聖書は語ります。逆に、敵ではなく味方である、とすることはおかしなことですが、人間には多々あるのではないか。死によって出会っている問題の解決をしようとする、ということがあるのではないか。まるで死はすべてのことを解決してくれる味方のように思っているではないか。しかし死は最後の敵であると聖書は語るのです。
 この「死」が滅ぼされます。その初穂として、キリストは復活させられました。そうして神さまが、死にさえも勝利することのできる神さまであることが明らかにされました。キリストを信じる私たちは、もはや死が最後の敵ではなくなりました。絶対的なものではなくなったのです。苦しみの解決として死は力を失いました。逆に、死をいたずらに恐れることからも解放されました。
 私たちの罪の身代わりとして十字架上で死なれたイエスさまを、神さまが復活させられたことによって、死は最終的な敵ではなくなったのですが、それは私たちの死が、罪の結果もたらされたものであることを明らかにしています。復活は、ただの生き返りとは違います。霊魂不滅ということでもありません。イエスさまが初穂であり、主にある者がそれに続くということは、私たちが、罪から解放され、まことにいのち、永遠のいのちに復活させられることです。こうして「万物が従わされた」と語ります。
 キリストは、まことの神さまですから、従わせられる万物の中には含まれません。しかしその含まれないはずのお方が、ここで父なる神さまに服従されます。愛と喜びを持って父なる神さまに従われます。そうして神さまこそ、神さまであること、すべてにおいてすべてであることが明らかにされます。


投稿日

カテゴリー:

,

投稿者:

タグ: