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マグダラのマリアともう一人のマリアはそこにいて、墓の方を向いて座っていた

静まりの時 マタイ27・57~66〔十字架の道〕
日付:2025年04月19日(土)

59 ヨセフはからだを受け取ると、きれいな亜麻布に包み、
60 岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。そして墓の入り口に大きな石を転がしておいて、立ち去った。
61 マグダラのマリアともう一人のマリアはそこにいて、墓の方を向いて座っていた。

 金持ちであったアリマタヤのヨセフは、主のご遺体を受け取り、自らの墓におさめました。他の福音書を見ると、ヨセフは金持ちであっただけではなく、有力な議員であったとも記されています。ピラトに申し出ることなどは、12人の弟子たちには不可能なことだったと思います。ヨセフにしかできないことでした。神さまはその人だけにしかできない奉仕を用意していてくださいます。
 刑死した犯罪人の遺体を引き取ること。自分のための用意した墓に葬ること。いずれも簡単なことではありません。
 明治の終わりごろに起こった幸徳事件(大逆事件)で逮捕され刑死した人の中に大石誠之助という人がいます。後に免罪との評価がされ、数年前に和歌山県新宮市の名誉市民とされた人です。医師でキリスト者です。この人の刑死後の遺体を引き取り葬儀をしたのが植村正久という牧師であったと伝えられます。簡単なことではなかったと想像します。

 主のご遺体を治めた墓を見ている人たちがいました。物見遊山や興味本位でも、野次馬根性でもありません。そこにあったのは主への愛だと思います。ですからただじっと見つめていました。
 ただじっと見つめている。簡単なようで簡単ではないように思います。私たちはつい口を出してしまいます。あるいは目を背けてしまいます。ただじっと見つめることはなかなか難しいことなのです。
 しかし愛は、ただじっと見つめる、ということを生み出します。

 そしてこの女性たちこそ、復活の証人となります。


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