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あなたは、わたしのもの

静まりの時 イザヤ43・1~7〔あがない〕
日付:2025年04月11日(金)

1 だが今、主はこう言われる。
 ヤコブよ、あなたを創造した方、
 イスラエルよ、あなたを形造った方が。
 「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。
 わたしはあなたの名を呼んだ。
 あなたは、わたしのもの。

 私は、どのような存在であるのか。私にはどのような価値があるのか。
 神さまを信じるということは、自分の価値を決めるのにこの世の評価によって決めようとすることから解放されることです。
 偶像の神、人間の作った神ではなく、世界を創造し、人間を造られた神さまが、どのような眼差しをもって私を見ておられるのか。まことの神さまを信じた時から、それが私の価値の基準となりました。
 その神さまが言われます。「あなたは、わたしのもの」。
 自らが神のものであることを知って、自分の本当の価値に出会います。私は誰かの所有物ではない。さらには私は、私自身のものですらない。ただ神さまのものである。神さまが私を創造し、形造り、私を贖い、私の名を呼んでくださる。そうして神さまのものであることが明らかにされている。あるいは神さまのものとしての人生を生きる。
 神さまを信じることは、真の私に出会うことでもあります。

 そもそも私は神さまによって造られたもの、今の私も神さまによって形造られたもの、そして贖われたもの、神さまからその名を呼ばれたものなのだから、今日も安心して生きることが出来ます。

 「贖い」とは、奴隷であった者が、解放されることです。贖いのために支払われたものを、贖い金、というそうです。私たちはみな、イエスさまの十字架、すなわち神さまのいのちによって、罪の奴隷から解放されたものです。私たちのいのちは、神さまのいのちによって贖われた尊いものなのです。


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