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彼らを荒野に見捨てられませんでした

静まりの時 ネヘミヤ9・9~21〔雲の柱・火の柱〕
日付:2025年03月10日(月)

18 彼らが自分たちのために鋳物の子牛を造り、
 『これが、あなたをエジプトから導き上った
 あなたの神だ』と言って、
 ひどい侮辱を加えたときでさえ、
19 あなたは大きなあわれみをかけ、
 彼らを荒野に見捨てられませんでした。
 昼は雲の柱が彼らから離れず、道中を導き、
 夜は火の柱が、行くべき道を照らしました。

 罪を犯してもよいということではありませんし、罪びとであることに開き直ってもいけません。しかし私たちはどうしても罪を犯します。罪びととしての存在から解放されることはありません。神さまが恵み豊かなお方だから、いまこうして生かされているのであり、そのことをただ感謝することしかできません。ただ感謝していきることこそ、人間の本来です。

 昨日の礼拝説教で引用したルターの手紙の一節です。自らの罪に苦しみふさぎ込む友に送られた長い手紙の一部です。

「それ故に、わたしのこころからの願い、また警告はこれです。どうか、私ども、とんでもない罪人たち、頑迷固陋(がんめいころう)な罪人の仲間入りをしてください。そのようにして、キリストを、絵空事の、子どもっぽい罪からしか救い出すことができないような小さな、頼りない存在にしてしまわないようにしてください。・・・最大、最悪の、要するに、地上の罪すべてを犯した者をも救い得るかたです。」
(クリスティアン・メラー、『慰めの共同体・教会』、加藤常昭・訳、教文館、2000年、217頁)


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