静まりの時 ルカ22・24~30〔しもべの道〕
日付:2025年03月01日(土)
26 しかし、あなたがたは、そうであってはいけません。あなたがたの間で一番偉い人は、一番若い者のようになりなさい。上に立つ人は、給仕する者のようになりなさい。
誰が一番偉いか、といった議論が使徒たちの中で起こったといいます。それに対して使徒たる者、イエスさまを主と仰ぎ従う者はそうであってはいけない。一番若い者、給仕する者のようになりなさい、と主は言われました。
若い者となる。単純に、低い者となりなさい、という意味なのだと思いますが、わざわざ「若い」という言葉を使ったのには何か意味があるのかもしれません。
原文ギリシャ語では「ネオス」という言葉が使われています。若者と訳されるべき言葉ですが、もともとの意味は「新しい」という意味です。余談ですが、イタリアにナポリ、という地名がありますが、これはネアポリスが語源だと思います。ネア(新しい)ポリス(町)。これがなまってナポリとなったのでしょう。
若いということは、それだけ経験がない、また経験不足のために十分な知識がない、ということを想像しますが、同時に新しい、新鮮であるということが、予備知識がない、先入観がないということも想像します。
太田和功一先生の『静まりと魂のセルフケア』のなかで、私たちの言動の裏に隠れた動機が混ぜ物となっていることがないだろうか、と振り返っていることばがあります。
(1)自分の価値を証明したいという動機
(2)自分を必要とする人を得たいという動機
(3)人とのつながりを得たいという動機
(4)愛情や親しい交わりへの飢え渇きを満たしたいという動機
(5)優越感を得たいという動機
(6)人を支配したいという動機
(7)人に無力感を与えたいという動機
(太田和功一、『静まりとセルフケア』、163頁ff)
静かに自分自身を振り返ってみると、思い当たらない人はいないのではないかと思います。しかしこのような混ぜ物、ひそかな動機があると、人間関係は難しくなり、また同時に自分自身の生き方も難しくなります。
一番若い者のようになりなさい、と言われた主のお言葉は、このような混ぜ物を一切取り払って、子どものようにある、ということなのかもしれません。