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何も持っていないようでも、すべてのものを持っています。

静まりの時 第二コリント6・3~10〔しもべの道〕
日付:2025年02月27日(木)

私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られていないようでも、よく知られており、死にかけているようでも、見よ、生きており、懲らしめられているようでも、殺されておらず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持っていないようでも、すべてのものを持っています。
(8~10)

 主にある者は、ときに人をだます者のように見える、この世界の中にあって取るに足りないような者である、死にかけている、懲らしめられている、悲しんでいる、貧しい、何も持っていないかに見える。しかし、本当は、誰よりも真実であり、世にあってよく知られている、生き生きと生きている、殺されていない、いつも喜んでいる、多くの人を富ませている、すべてのものを持っているのです。
 これは視点がまったく変わってしまう、ということなのだと思います。主にある者は、神さまから与えられた新しい眼鏡を持っているのです。


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