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母の胎内にいたときから私の名を呼ばれた

静まりの時 イザヤ49・1~6〔しもべの道〕
日付:2025年02月25日(火)

1 島々よ、私に聞け。
 遠い国々の民よ、耳を傾けよ。
 主は、生まれる前から私を召し、
 母の胎内にいたときから私の名を呼ばれた。

 私たちの神さまは私の名を呼ばれます。名は、生まれた時に付けられるものです。しかし神さまは、生まれる前から、母の胎内にいたときから呼ばれるのです。それは、私が何者であり、どのような歩みをし、どのような業績を残したかとは全く関係なしに、呼ばれることです。私という存在が何者でもないときに、私というものの存在をその御手の中に置いていてくださる。私を喜んでくださる。それが神さまです。神さまに出会うとは、そのような神さまに出会うことです。

6 主は言われる。
 「あなたがわたしのしもべであるのは、
 ヤコブの諸部族を立たせ、
 イスラエルのうちの残されている者たちを
 帰らせるという、小さなことのためだけではない。
 わたしはあなたを国々の光とし、
 地の果てにまでわたしの救いを
 もたらす者とする。」

 イスラエルのうちの残された者たちを帰らせる、ということは、そんなに小さなことではないと思いますが、神さまのしもべである、ということは、それを小さなことと知っていることです。神さまのしもべである、ということは、もっと大きなこと、すなわち、国々の光とする、地の果てにまで神さまの救いをもたらす者となるためです。
 神さまのしもべとなるのは、自らの祝福のためだけではなく、他者の祝福、世界の祝福のためでもあるのです。


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