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主人のほうが帯を締め

静まりの時 ルカ12・35~40〔しもべの道〕
日付:2025年02月24日(月)

35 腰に帯を締め、明かりをともしていなさい。
36 主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸を開けようと、その帰りを待っている人たちのようでありなさい。
37 帰って来た主人に、目を覚ましているのを見てもらえるしもべたちは幸いです。まことに、あなたがたに言います。主人のほうが帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばに来て給仕してくれます。

 しもべの役割は、いつも腰に帯を締め明かりをともし、主人の帰りを待っていることである。そして主人が帰って来て戸を叩いたら、すぐに戸を開けようとする。それがしもべの役割である、しもべとして生きる道である。そうイエスさまは言われました。
 そのために目をさましている。そのようなしもべは幸いである。目をさましているのを見てもらえるのも幸いである、と思いますが、そのように常日頃から目をさましている生き方そのものが幸いである、と思います。辛く忍耐の日々ではなく、今か今かと主人の帰りを待っていること自体は、幸いなことだと思うのです。
 いざ主人が帰ってきたら、その主人をもてなすために立ち働くのか。イエスさまは、そうではない、と言われました。主人のほうが帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばに来て給仕してくれるのだ、と言われました。もったいないことですが、再臨のキリストを待ち望むキリスト者はそのような幸いにあずかるのです。
 礼拝のことを、サービス、というのですが、私たちが神さまにサービスをするという意味とともに、神さまご自身が礼拝者にサービスしてくださる、という意味をもっているのです。


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