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あなたがたのために場所を用意しに行く

静まりの時 ヨハネ14・1~7〔生命の道と死の道〕
日付:2025年02月20日(木)

「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。
(1,2)

 この2節ですが、以前の訳では

わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。(新改訳改訂3)
わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。(口語訳)

 これが新共同訳では

わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。(新共同訳)

そして共同訳2018では

私の父の家には住まいがたくさんある。もしなければ、私はそう言っておいたであろう。あなたがたのために場所を用意しに行くのだ。

 「~であろうか」というのは、そう語ったかどうか定かではないという意味での疑問文ではなく、確かに語ったということを強調するための疑問文である、ということです。

 そうすると、イエスさまは、つねづね「あなたがたのために場所を用意しに行く」と語っておられたことが推察されます。イエスさまは弟子たちに、天国にあなたの場所がある、といつも語っておられた。イエスさまの使命の一つは、弟子たちに、天国にあなたの居場所がある、と伝えることであった。
 イエスさまを信じて生きる、ということは、天国に居場所を持っていることを知っているという生き方である。パウロは「私たちの国籍は天にあります」(ピリピ3・20)と語りましたが、天国に居場所を持っているというのは、天国が私たちの故郷(ふるさと)である、ということでもあります。一時的な滞在場所ではなく、将来に移されるであろう場所というだけでもなく、今この時に、私たちは天国人であり、天国からこの地に派遣された者でもあるのです。


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