,

まことにこの方こそあなたのいのち

静まりの時 申命記30・15~20〔生命の道と死の道〕
日付:2025年02月17日(月)

15 見よ、私は確かに今日あなたの前に、いのちと幸い、死とわざわいを置く。
16 もしあなたが、私が今日あなたに命じる命令に聞き、あなたの神、主を愛し、主の道に歩み、主の命令と掟と定めを守るなら、あなたは生きて数を増やし、あなたの神、主は、あなたが入って行って所有しようとしている地で、あなたを祝福される。
17 しかし、もしあなたが心を背け、聞き従わず、誘惑されてほかの神々を拝み、これに仕えるなら、
18 今日、私はあなたがたに宣言する。あなたがたは必ず滅び失せる。あなたがヨルダン川を渡り、入って行って所有しようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くことはない。

 神さまの命令と掟、定めを守るならば、神さまは祝福してくださる、と書かれています。しかし一方で、

19 私は今日、あなたがたに対して天と地を証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいをあなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、
20 あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためである。まことにこの方こそあなたのいのちであり、あなたの日々は長く続く。あなたは、主があなたの父祖、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われたその土地の上に住むことになる。

 いのちを選ぶ目的は、主を愛し、主の御声に聞き従い、主にすがるためである、と語ります。

 神さまに聞き従う。すなわち聖書の言葉に学び従っていくのは、祝福されるためである。御言葉に従うならば祝福がやってくる。しかしそのように祝福を選択する目的は、神さまに聞き従い、神さまにすがるためである。
 20節の「まことにこの方こそあなたのいのちであり」は、新共同訳では「それが、あなたの命であり」と訳されています。神、主を愛し、御声を聞き、主につき従うこと自体が、いのちである、と語られているようです。

 神さまに聞き従うならばいのちを得る、ということは、いのちを得るために、神さまに聞き従う、ということではありますが、それと同時に、神さまに聞き従うこと自体が、いのちである、ということでもあります。
 神さまに聞き従うのは、永遠のいのちの約束を確かにしていると同時に、その瞬間にすでに永遠のいのちに生かされている喜びを味わうことなのです。


投稿日

カテゴリー:

,

投稿者:

タグ: