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あなたは、あなたの土地、 あなたの親族、あなたの父の家を離れて、 わたしが示す地へ行きなさい

静まりの時 創世記12・1~3〔祝福の契約〕
日付:2025年 1月 6日(月)

1 主はアブラムに言われた。
 「あなたは、あなたの土地、
 あなたの親族、あなたの父の家を離れて、
 わたしが示す地へ行きなさい。
2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、
 あなたを祝福し、
 あなたの名を大いなるものとする。
 あなたは祝福となりなさい。
3 わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、
 あなたを呪う者をのろう。
 地のすべての部族は、
 あなたによって祝福される。」

 神さまはアブラムを祝福し、さらに他の者を祝福する祝福の基とされました。
 そのために神さまはアブラムに一つの要求をされます。「あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい」。
 「離れること」そして「行く」こと。

 ここで、行き先については神さまから明確に示されていません。アブラムたちはカナンの地に行く旅をしていますが、それは神さまから語られているということでは、この時点では示されていないようなのです。
 神さまは、とにかく「離れること」そしてそれは「出発すること」を要求なさっているようです。
 行き先が明確で、そこが今のところよりも素晴らしいところである、と知らされたならば、出発することも容易であるかもしれません。しかしそれが示されていな中で、そこを「離れ」て「出発する」ことはなかなか難しいことです。
 神さまがアブラムにお求めになったのは、ひたすら神さまへの信頼なのだと思います。

 離れなければならない「あなたの親族、あなたの父の家」。いたずらに親元を捨てよ、ということではありません。私たちにはもっと大きな「離れなければならないもの」があるのだと思います。それが自分です。

 自分を離れるということはどういうことか。
 誰でも自分は一番大切なものです。一番大切なものでありながら、本当に大切にしているだろうか。本当に大切にするとはどういうことなのだろうか。自己主張をし、誰にどう思われようがわが道を行く、わがままに生きる、ということなのだろうか。逆に人にどのように思われるか、この世からどのような評価を受けるかを大切に考えることなのだろうか。それによって戦々兢々とすることなのだろうか。
 いずれも人間が中心になっていることで、かたちは違っても、自分を離れることになっていないのだと思います。
 神さまに目を向ける。自分を見つめていた目を、神さまに向け直す。そうしてあらためて、神さまの視点を通して、自分自身を見る。そこでこそ自分が見えてくる。そうして自分を本当に大切にする道が見えてくる。それが自分を離れる、ということなのではないかと思います。
 「そうすれば・・・あなたを祝福し・・・」。


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