静まりの時 ヘブル1・5~14〔よろこびのおとずれ〕
日付:2024年12月28日(土)
5 神はいったい、どの御使いに向かって言われたでしょうか。
「あなたはわたしの子。
わたしが今日、あなたを生んだ」
と。またさらに、
「わたしは彼の父となり、
彼はわたしの子となる」
と。
御子イエス・キリストは、大勢いる天使の中の一人、というのではなく、天使よりもはるかにすぐれたもの、偉大な存在である、ということを語っています。
ということは、初代教会の中に、御子イエスさまを、確かにすぐれた存在ではあるが、せいぜい天使の中の一人である、といった主張があったということでしょう。
冒頭でこのような言葉が出てくるということは、ヘブル書は、御子イエス・キリストが唯一無二の存在であって、神ご自身である、ということを語ろうとしている書であるということです。
御子イエス・キリストは、まことの神である。その神が、私たちのために犠牲の死を遂げて下さった、そしてそのイエスを神はよみがえらせてくださった。このイエスを信じよう、とヘブル書は私たちに呼びかけています。
8 イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。
9 様々な異なった教えによって迷わされてはいけません。食物の規定によらず、恵みによって心を強くするのは良いことです。食物の規定にしたがって歩んでいる者たちは、益を得ませんでした。
10 私たちには一つの祭壇があります。幕屋で仕えている者たちには、この祭壇から食べる権利がありません。
11 動物の血は、罪のきよめのささげ物として、大祭司によって聖所の中に持って行かれますが、からだは宿営の外で焼かれるのです。
12 それでイエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。
13 ですから私たちは、イエスの辱めを身に負い、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。
14 私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです。
15 それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。
(ヘブル13・8~15)