静まりの時 イザヤ55・1~13〔みことばの光〕
日付:2024年12月10日(火)
10 雨や雪は、天から降って、もとに戻らず、
地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、
種蒔く人に種を与え、食べる人にパンを与える。
11 そのように、
わたしの口から出るわたしのことばも、
わたしのところに、空しく帰って来ることはない。
それは、わたしが望むことを成し遂げ、
わたしが言い送ったことを成功させる。
神さまの御言葉は、空しく帰ってくることはない。ひとたび語られたならば、神さまのみこころを成し遂げる、その語られたことは必ず実現する。神さまの言葉には力がある。
雨や雪が天から降ってきて、地を潤し植物を、そして動物を生かしていくように、そのように神さまの言葉には力がある。
渇いた地に雨が降ると、今までしおれていたような植物が力を取り戻していく姿は想像しやすいのですが、ここには雨だけではなく雪もそのような力があることを語っています。昨日は寒い朝となりその前の夜にはみぞれまじりの雨が降っていました。その寒さに植物は縮こまってしまうように感じます。いったいこのようなかたちで水分が与えられても植物の力になるのだろうか。
この節の前の8,9節に
8 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、
あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。
──主のことば──
9 天が地よりも高いように、
わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、
わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
神さまのみ言葉は、私たちの思いを越えている。私たちの想像を超えた形で、働いていく。雪も確かに、植物を生かしていくための水分を与える。
霜が降ると、甘くなる植物をあるそうです。茎の中の水分が凍ると死滅してしまうので、それを避けるために、自ら糖度を高くして凍結を避けようとしているとのこと。水分も難なく与えられ続けていると、その植物自体が豊かなものとならない。雨で与えられるだけではなく、雪でも与えられることによって、より豊かに成長する。同じように、み言葉もストレスを与えるようなかたちで与えられることによって、より信仰者は成長するのかもしれません。耳障りの良い聖句ばかりでは、信仰者の健やかな成長は難しい。
神さまのみ言葉は、その神が真実の神であるならば、時に私たちにとって大きなチャレンジとなるような言葉であるはずなのです。神さまの御言葉は必ず、豊かに実を結びます。
本題からそれることですが、今朝の個所5節に登場する「国民」には「こくみん」とふりがながついています。同じイザヤ書51章4節に登場する「国民」には「くにたみ」とふりがながついています。同じ漢字でありながら、読ませ方に違いが起っています。原文を見ると、別の単語となっていますので、その違いを明らかにしようとの意図があるのかもしれません。「くにたみ」と読ませているほうは、辞書では「people」、「こくみん」と読ませているほうは「nation,people」とありました。まあ同じようなことだと思います。