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この方こそ平和である

静まりの時 ミカ5・1~4〔あなたの主が来られる〕
日付:2024年12月 5日( 木)

(本日の個所は、新改訳2017では5章1節とされているところが、新共同訳、共同訳2018では4章14節となっています。私の手元にあるヘブル語原典や70人訳では、4章は14節までとなっていて、新共同訳、共同訳2018の通りです。それで今日は共同訳2018に従って読んでみたいと思います。)

1  エフラタのベツレヘムよ
 あなたはユダの氏族の中では最も小さな者。
 あなたから、私のために
 イスラエルを治める者が出る。
 その出自は古く、とこしえの昔に遡る。
2 それゆえ、産婦が子を産むまで
 主は彼らをそのままにしておかれる。
 彼の兄弟の残りの者は
 イスラエルの子らのもとに帰って来る。
3 彼は立ち上がり、主の力と
 その神、主の名の威光によって群れを治める。
 彼らは安らかに住み
 彼は今、大いなる者となって地の果てにまで及ぶ。
4 この方こそ平和である。
 アッシリアが私たちの地に進撃し
 私たちの城郭を踏み潰すとも
 私たちはこれに向かって
 七人の牧者、八人の王侯を立てる。

 心に留まりましたのは、3節と4節の最初の一行です。

「彼は立ち上がり、主の力と
 その神、主の名の威光によって群れを治める。
 彼らは安らかに住み
 彼は今、大いなる者となって地の果てにまで及ぶ。
 この方こそ平和である。」

 もっとも小さな者である「エフラタのベツレヘム」。そこからイスラエルを治める者がでる。救い主が出る。救い主はどこから出て来るのか。それはもっとも小さい者から出てくる。
 このもっとも小さい者から出て来るお方こそ、主の名の威光によって群れを治める者である。小さくなければ、主の名の威光によって治めることができない。小さくなく大きければ、その大きな自分の力で治めようとしてしまう。もし自分の力で治めようとするならば、「彼らが安らかに住む」ことができない。「平和」が築かれることにならない。
 クリスマスは、ひたすら小さくなってくださった神さまの威光を讃えるときです。そのためには人間は自らの力を捨てなければなりません。自らの力を捨てることができたなら、そこにこそまこと平安と平和が生まれるのだと思います。


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