静まりの時 イザヤ9・1~16〔あなたの主が来られる〕
日付:2024年12月 4日( 水)
6 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。
ひとりの男の子が私たちに与えられる。
主権はその肩にあり、
その名は「不思議な助言者、力ある神、
永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
この聖句は、新約聖書のルカ福音書2章11、12節において成就されました。
11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
私たちの救い主は、「みどりご」であり「ひとりの男の子」である、と聖書は語ります。みどりご、とは漢字で書くと「嬰児」。広辞苑によると「緑児」ともかくようで、新芽のように若々しい幼児とのこと。
イザヤは、もしかすると救い主を若々しい存在として語ったのかもしれませんが、新約聖書は「布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりご」と語りました。自分では何もできない、まったく無力な存在として救い主は来られたと語ったのです。
「それが、あなたがたのためのしるし」である。しるし、というのは、奇跡のことです。神さまを指し示すしるし。それによって確かに神さまがおられることを知る奇跡。たとえば鮮やかな癒しが行われたら確かに神はいる、願いが聞かれたら確かに神はいる。人間はそのように思います。ですからしるし、奇跡というと、人間には不可能なことが実現されることです。力強く大きな事を奇跡と呼ぶのです。
しかし聖書は、自らは何もすることのできない全き弱気の中にあるみどりごこそ、しるしである、と語ります。ここにこそ神があらわれた。これこそ神が確かに存在しておられる、私たちを救う救い主である、と語るのです。
この飼葉桶に眠るみどりごの中に私たちは神の奇跡を発見することができるだろうか。
「主権はその肩にあり」。神さまの圧倒的な力がここにあらわれている。そのことを私たちは信じることができるだろうか。このみどりごを「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ぶだろうか。
私たちが考える不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君とはどのような存在だろうか。どのような存在を思い描くであろうか。私たちはほんとうに、このみどりごを「不思議な助言者、力ある神、 永遠の父、平和の君」と呼ぶだろうか。
この布にくるまって飼葉桶に眠るみどりごこそ、すべての主権をお持ちであり、まさに「不思議な助言者、力ある神、 永遠の父、平和の君」である、と本当に告白するとき、私たちの救いが始まり、また完成するのだと思います。