目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい

静まりの時 第一コリント16・13~20〔目をさまして〕
日付:2024年11月29日( 金)

13 目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。雄々しく、強くありなさい。
14 一切のことを、愛をもって行いなさい。

 目を覚ます、ということは、堅く信仰に立つことであり、雄々しく、強くあること、そして一切のことを、愛をもって行うことです。
 「雄々しく」は以前の訳では「男らしく」と訳されていました。原文の単語がそういう意味のことばだからです。しかし現在はジェンダー問題に配慮してか、意味をくみ取ってこのように訳されているのかな、と思います。もちろんこのほうがよくわかります。
 「強くある」ということばは、原文ギリシャ語では受け身のかたちとなっています。つまり強くされなさい。自分の力で強くなるのではありません。

15 兄弟たちよ、あなたがたに勧めます。ご存じのとおり、ステファナの一家はアカイアの初穂であり、聖徒たちのために熱心に奉仕してくれました。
16 あなたがたも、このような人たちに、また、ともに働き、労苦しているすべての人たちに従いなさい。

 「アカイア」(以前の訳ではアカヤ)とは、このコリントのあったギリシャのことを指しているようです。つまり「ステファナの一家」はコリント教会の初穂、ということです。教会生活に生きるということは、このように主が立てて下さった奉仕者に従うことです。互いに愛する、ということが互いに従うということを含んでいます。隷属することではありません。自由な心をもって互いを尊重することです。

17 ステファナとポルトナトとアカイコが来たので、私は喜んでいます。あなたがたがいない分を、彼らが埋めてくれたからです。
18 彼らは、私の心とあなたがたの心を安らがせてくれました。このような人たちを尊びなさい。

 「あなたがたがいない分」というのは少しわかりにくい言葉ですが、コリントの教会において、本来コリント教会の信徒が為すべき奉仕が、何らかの理由でできなかったときに、その穴埋めをしてくれた、ということでしょう。彼らの奉仕をパウロは喜びました。それは彼らの奉仕が、安らぎを生み出したからです。単なる奉仕か、それとも安らぎを生み出す奉仕であるか。同じ奉仕でもずいぶん違いがあります。
 「尊ぶ」。重んじること。それは感謝することです。

19 アジアの諸教会がよろしくと言っています。アキラとプリスカ、また彼らの家にある教会が、主にあって心から、あなたがたによろしくと言っています。
20 すべての兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。

 「よろしくと言っている」。あいさつをする、という意味のことばです。私たちは出会った時、別れる時、あいさつをします。簡単なことばの場合もありますし、文章を読み上げるようなものもあります。それは、何らかの「好意(厚意)」を伝える、ということである場合が多いものです。あなたのことを大切に考えています、というメッセージである場合もあります。
 ここではパウロが、他者の好意(厚意)を伝えている。パウロも一人で生きているのではない。コリント人たちも孤独の中にあるのではない。みなが好意(厚意)でつながっている。それが明らかにされている。教会はそのような交わりの中に生かされています。

聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい。

 これは文化の中にあることばです。日本ではこの通りに実践しようとすると、さまざまな物議を醸しだします。ですから心を込めて挨拶をしましょう、ぐらいに考えるべきで、字義どおりに読んではいけない例でしょう。聖書は神さまのことばであり真理ですが、同時に文化の限界、時代の限界を持っている書物でもあります。


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