主はあわれみを忘れずに

静まりの時 ルカ1・46~56〔信仰の先達〕
日付:2024年11月 2日( 土)

46 マリアは言った。
   「私のたましいは主をあがめ、
47 私の霊は私の救い主である神をたたえます。
48 この卑しいはしために
   目を留めてくださったからです。
   ご覧ください。今から後、どの時代の人々も
   私を幸いな者と呼ぶでしょう。
49 力ある方が、
   私に大きなことをしてくださったからです。
   その御名は聖なるもの、
50 主のあわれみは、代々にわたって
   主を恐れる者に及びます。

 「マニフィカト」と呼ばれることになるマリアの賛歌。原文の最初の単語が「メガルーネイ」(メガリューノー)、英語では「メガ」の語源となった言葉だそうです。つまり大きい、でっかい、という意味です。マリアの賛歌は、「私のたましいは主をでっかくします」との歌いだしで始まります。
 私たちは何を大きくでっかくしているのか。目の前の問題を大きくしている、自分の心の不安を大きくしている、自分に対峙するものを大きくしている、など、神さま以外のものを如何に大きくしてしまっているか。
 主が目を留めていてくださる。それが幸いなのです。神さまがどんなに大きな事をしてくださったか、それが大事なことなのです。

51 主はその御腕で力強いわざを行い、
   心の思いの高ぶる者を追い散らされました。
52 権力のある者を王位から引き降ろし、
   低い者を高く引き上げられました。
53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、
   富む者を何も持たせずに追い返されました。
54 主はあわれみを忘れずに、
   そのしもべイスラエルを助けてくださいました。
55 私たちの父祖たちに語られたとおり、
   アブラハムとその子孫に対するあわれみを
   いつまでも忘れずに。」

 主の御腕によって為される力強いわざとは何か。心の思いの高ぶる者を追い散らされる、権力のある者を王位から引き降ろされる、低い者を高く引き上げられる、飢えた者を良いもので満ち足らせてくださる、富む者を何も持たせずに追い返される。
 幸いなのは、低い者、飢えた者であり、その逆は心の思いの高ぶる者、権力のある者、富む者です。私たちが、低くされている、飢えているとすれば、それは幸いなことなのだ、と。逆に、心の思いが高ぶっている、偉そうにしている、権力を行使している、富んでいるならば、幸いが遠のいてしまう。

56 マリアは、三か月ほどエリサベツのもとにとどまって、家に帰った。

 この三か月はどのような日々だったでしょう。恒例のエリサベツとおそらく10代であったと想像されるマリア。ともに不思議な妊娠に預かった者同士。ともに初産です。誰にも理解されないであろうその妊娠を、しかし唯一分かち合う者同士として時間を過ごしました。神さまが与えて下さったこの三か月は、これからはじまる嵐のような人生の前の静かな時間だったのだと思います。


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