静まりの時 黙示録14・14~20〔刈入れの時〕
日付:2024年10月26日( 土)
14 また私は見た。すると見よ。白い雲が起こり、その雲の上に人の子のような方が座っておられた。その頭には金の冠、手には鋭い鎌があった。
15 すると、別の御使いが神殿から出て来て、雲の上に座っておられる方に大声で叫んだ。「あなたの鎌を送って、刈り取ってください。刈り入れの時が来ましたから。地の穀物は実っています。」
16 雲の上に座っておられる方が地上に鎌を投げると、地は刈り取られた。
17 それから、もう一人の御使いが天の神殿から出て来たが、彼もまた、鋭い鎌を持っていた。
18 すると、火をつかさどる権威を持つ別の御使いが祭壇から出て来て、鋭い鎌を持つ御使いに大声で呼びかけた。「あなたの鋭い鎌を送って、地のぶどうの房を刈り集めよ。ぶどうはすでに熟している。」
19 御使いは地上に鎌を投げて、地のぶどうを刈り集め、神の憤りの大きな踏み場に投げ入れた。
20 都の外にあるその踏み場でぶどうが踏まれた。すると、血がその踏み場から流れ出て、馬のくつわの高さに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。
最終的な裁きの時がある、と聖書は語ります。その時は「刈入れの時」であると語ります。刈り入れ、収穫の時です。
その時は、「地の穀物は実っている」「地のぶどうはすでに熟している」時です。穀物が実っているかどうか、ぶどうが熟しているかどうか。実りの時を御使いは知っています。神さまの御使いだけが知っています。神さまだけがご存じです。人間は知り得ません。
人間が知りうるのは、その時が必ずある、ということだけです。しかしその時が必ず来るということを神さまは人間に知らせてくださいました。人間はそれがいつであるのかを知りませんが、必ずあるということを信じて生きるようにと神さまに招かれています。
「人の子のような方」また「御使い」の手には「鋭い鎌」があります。最終的な審判の時にふるわれる鎌は鋭いのです。鋭いので地の穀物、地のぶどうは、根こそぎに刈り取られます。残されるものはありません。この裁きを逃れる者は誰もいません。
私たち罪びとは、この刈り取りの前にひとたまりもありません。
しかし刈り取られたぶどうは、「都の外にある踏み場」に投げ込まれ、そこで踏まれました。するとそこから「血」が流れ出て、「馬のくつわの高さ」に届くほどになり、1600スタディオンに広がりました。1600スタディオンとは、約300キロメートルと説明されます。おそらく四方に400スタディオン、400は4×100で完全数の積です。全世界を現わしているのかもしれません。
裁きにおいて踏まれたぶどうから、ぶどう汁ではなく「血」が流れ出て、それが地の前面を潤しました。踏み場は「都の外」にあります(ヘブル13・12)。歴史の教会は、これをイエスさまの十字架と読んできたようです。
裁きは恐ろしいものです。神さまは罪を見過ごしにされるお方ではありません。しかしその罪のために、御子イエスさまは贖いのわざを成し遂げられました。その贖いの血はあまねく全世界におよびます。主にある者は、この「血」の贖いによって救われます。主にある者にとって裁きの時は、恐怖するときではなく、完成の時です。贖いが完成するときなのです。
私たちは、この刈入れの時を待ち望んでいます。それがいつであるのかは分からない。だからこそ、きょうも再臨に備えて新しく生きていきます。