静まりの時 使徒20・25~32〔教会の一致〕
日付:2024年10月02日(水)
25 今、私には分かっています。御国を宣べ伝えてあなたがたの間を巡回した私の顔を、あなたがたはだれも二度と見ることがないでしょう。
26 ですから、今日この日、あなたがたに宣言します。私は、だれの血に対しても責任がありません。
27 私は神のご計画のすべてを、余すところなくあなたがたに知らせたからです。
このパウロの説教とも呼べる言葉は、先の17,18節に「パウロはミレトスからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼び寄せた。彼らが集まって来たとき、パウロはこう語った」とありますので、エペソの教会の長老たちに語られた言葉です。
パウロは、もはや再びあなたがたと会うことはないであろう。だからここに宣言する、はっきりと言っておく、私は、だれの血に対しても責任がない、たとえ誰かが信仰から外れてしまい、永遠の命を失うようなことがあったとしても、その人の命については私には責任がない、なぜならば、私は神のご計画をすべて、余すところなくあなたがたに知らせたからである、と。
もうすべてを知らせつくした、語りつくした、教えつくした。そうパウロは語っています。なんとも断固としたことばです。
おそらく伝道者として語りつくすということは、不可能なことなのではないかと思います。しかし語りつくすことができていない、ということもまた伝道者としてどうなのだろうか、とも思います。
明日はどんな日かわからないのです。御国について語る、神のご計画を語る、ということは、どんなときにも全身全霊でなすべきことであって、語りつくした、と言えるような語りでなければならないのだと思います。
28 あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい。神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです。
29 私は知っています。私が去った後、狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、容赦なく群れを荒らし回ります。
30 また、あなたがた自身の中からも、いろいろと曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こってくるでしょう。
31 ですから、私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがた一人ひとりを訓戒し続けてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。
「監督にお立てになった」とあります。長老に対して語られてきたのですが、その長老に対してここで「監督」と言っています。教会制度が整っていなかった初代教会にあって、しかしすでに指導的な立場にある者たちが立てられていた。そして命じられます。「自分自身と群れの全体に気を配りなさい」。
気を配る。それはまた「牧させる」(28)という言葉と重なります。羊飼いが羊を牧するように、教会を牧しなさい、と。それが群れに気を配ることである。監視することではなく、平安の中に養い育てることです。それが教会指導者の役割です。今日では、牧師、役員がこれに該当すると思います。
パウロは予測してしました。パウロが去った後に、「狂暴な狼」が教会を荒らすことを。教会を荒らす狼は、教会の外からやって来るだけではありません。「あなたがた自身の中からも、いろいろと曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たち」が起ってくると言います。
「あなたがた自身」、すなわち牧師や長老、あるいはパウロの薫陶を受けてきた人たちの中からも、狼が出てくる、というのです。
ですから、群れの全体に気を配れ、というだけではなく、「自分自身と群れの全体に気を配りなさい」というのです。自分のことに気を配ることができない者に、他者を、ましてや教会の群れ全体に気を配ることはできません。牧師が信徒に対してしなければならないまず第一のことは、自分自身に気を配ることです。
「牧者として、会衆のためにすることで何よりも大切なことは、自分自身の魂をケアをすることである。
これは米国のプリンストン神学校の校長兼牧会学教授であるクレッグ・バーンズによる著作からの一文です。」
(太田和功一、『静まりと魂のセルフケア」、あめんどう、2024年、137頁)
教会を荒らす狼を「弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者」とパウロは語りました。自分のほうに引き込む、自分の支配下に置く、自分のコントロールの中に置く、マニプレートする、洗脳して操作する。それが教会を荒らす狼の特徴である、と言います。
しかしパウロは、それに対して「ゆだねる」と語ります。
32 今私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々とともに、あなたがたに御国を受け継がせることができるのです。
悪い牧者は、会衆を自分のほうに引き込もうとするのですが、良い牧者は、会衆を、神さまと神さまのみ言葉にゆだねます。「その恵みのみことば」とは、この場合、旧約聖書の言葉、パウロの語ってきた言葉、イエスさまご自身、とさまざまに理解できると思いますが、いずれにせよ人間の言葉ではなく、人間を通して語られてきた神さまの御言葉だと思います。31節に「私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがた一人ひとりを訓戒し続けてきたこと」にも重なると思います。
それを「思い起こす」そして「目を覚ます」。それが、自分自身と群れ全体とに気を配ることになる。み言葉を思い起こすこと、そして目を覚ます、すなわち祈ること。
この25節から38節には「教会憲法」が書かれている、とある先生は言われていました。教会がもっとも大切にしなければならないルールが書かれているということでしょう。