私は主にあって、あなたの厚意にあずかりたいのです

静まりの時 ピレモン4~20〔とりなし〕
日付:2024年09月28日(土)

4 私は祈るとき、いつもあなたのことを思い、私の神に感謝しています。
5 あなたが主イエスに対して抱いていて、すべての聖徒たちにも向けている、愛と信頼について聞いているからです。
6 私たちの間でキリストのためになされている良い行いを、すべて知ることによって、あなたの信仰の交わりが生き生きとしたものとなりますように。
7 私はあなたの愛によって多くの喜びと慰めを得ました。それは、兄弟よ、あなたによって聖徒たちが安心を得たからです。

 パウロとテモテは、「オネシモ」、を受け入れてほしいと願い、かつてオネシモの主人であったピレモンに手紙を送りました。
 パウロたちは、ピレモンのことを思い、神さまに感謝していると書きました。その理由は、ピレモン自身がイエスさまに対して抱いている愛と信頼について聞いているからであり、またそれがすべての聖徒たちにも向けられていことを聞いているからである、といいます。ピレモンは、神さまを愛することと、隣人を愛することが一つになった人物でした。そのことをパウロたちは感謝しています。
 そのピレモンに対して、「私たちの間でキリストのためになされている良い行い」を「すべて知ること」によって、ピレモンの「信仰の交わり」が生き生きとなることを祈っています。
 信仰の交わりが生き生きとなる。そのために、キリスト者の間で行われている良い働きをすべて知る。報告が、信仰の交わりと生き生きとする。信仰の交わりが生き生きとするための報告のあり方を考えさせられます。
 パウロたちはピレモンの愛によって多くの喜びと慰めを得たといいます。それは、ピレモンによって聖徒たちが安心を得たからである、と。聖徒たちに、兄弟姉妹たちに安心を与える存在、それがピレモンでした。そのようなピレモンの存在が、またパウロたちに多くの喜びと慰めを与えた。兄弟姉妹たちが、互いに「安心を与える」存在であることによって、伝道者は、多くの喜びと慰めを得るのです。

8 ですから、あなたがなすべきことを、私はキリストにあって、全く遠慮せずに命じることもできるのですが、
9 むしろ愛のゆえに懇願します。

 全く遠慮せずに命じることができるのは、19節を見ると、ピレモンがパウロたちに対してなにか借りがあることを想像させますが、この文脈からは、ピレモンが兄弟姉妹に対して安心を与える存在だからであると理解すべきだと思います。しかしパウロたちは、それに甘えることなく懇願します。愛ゆえに懇願する、といいます。結局ピレモンの愛に期待するのですから同じような気もします。
 しかし、命じられること、と、懇願されること、とは同じようでありながら、まったく異質なものであると思います。命令には、他の選択肢はありません。しかし懇願には選択の自由があります。従わない自由の中にあって、相手の願いに応えようとする。懇願は愛を生み出します。
 願う、ということは、いずれにしても相手の愛に期待することなのだと思います。信頼が土台となって、願い、は可能となるのです。

このとおり年老いて、今またキリスト・イエスの囚人となっているパウロが、
10 獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。
11 彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても役に立つ者となっています。
12 そのオネシモをあなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。

 パウロたちのピレモンに対する願いは、オネシモ、を受け入れてほしい、というものでした。おそらくオネシモはかつてピレモンに仕えていた奴隷だったようですが、何らかの問題をピレモンに対して起こし、逃亡し、その果てに囚われの身となり、その獄中でパウロたちに出会った。そこで回心し、パウロたちとともに信仰生活を送る者となった。オネシモは役に立つ者となったのです。

13 私は、彼を私のもとにとどめておき、獄中にいる間、福音のためにあなたに代わって私に仕えてもらおうと思いました。
14 しかし、あなたの同意なしには何も行いたくありませんでした。それは、あなたの親切が強いられたものではなく、自発的なものとなるためです。
15 オネシモがしばらくの間あなたから離されたのは、おそらく、あなたが永久に彼を取り戻すためであったのでしょう。
16 もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟としてです。特に私にとって愛する兄弟ですが、あなたにとっては、肉においても主にあっても、なおのことそうではありませんか。
17 ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。
18 もし彼があなたに何か損害を与えたか、負債を負っているなら、その請求は私にしてください。
19 私パウロが自分の手で、「私が償います」と書いています。あなたが、あなた自身のことで私にもっと負債があることは、言わないことにします。
20 そうです、兄弟よ。私は主にあって、あなたの厚意にあずかりたいのです。私をキリストにあって安心させてください。

 オネシモをとりなすパウロたち。「私は主にあって、あなたの厚意にあずかりたいのです」「キリストにあって安心させてください」

 愛は、強制されて生まれるものではありません。「懇願」と「厚意」によって生まれるものです。それが「安心」を生み出す。

 あなたの厚意にあずかりたい。健やかな信仰の言葉だと思います。だれの厚意にもあずからない。自分の力でやっていく。それも良いかもしれません。しかし人間は一人では生きていけないのです。神さまはそのように人間をお造り下さいました。助けてほしい、お願いしたい、と願うことは、自らを低くすることかもしれません。プライドを捨てなければならないことかもしれません。しかし卑屈になる必要はありません。主にある兄弟姉妹なのですから。そうして相手も、その心の中にあるはずの「厚意」が動き出す。働き出す。厚意が発揮される。いままで隠されていた力が現われる。そうして「安心」が生まれる。他の訳では、元気づけられる、力づけられる。
 これがまた6節の言葉を生み出すこととなります。

6 私たちの間でキリストのためになされている良い行いを、すべて知ることによって、あなたの信仰の交わりが生き生きとしたものとなりますように。


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