静まりの時 詩篇145・9~16〔恵みに強められる〕
日付:2024年08月28日(水)
9 主はすべてのものにいつくしみ深く
そのあわれみは
造られたすべてのものの上にあります。
主は「すべてのもの」にいつくしみ深い。善人にも悪人にも、信仰の篤い者にも不信仰の者にも、なんの区別も差別もなくいつくしみ深い、と語ります。さらには、造られたすべてのものの上に、主のあわれみはある。人間だけでなく、神羅万象、すべての被造物に対していつくしみ深く、そのあわれみを注いでおられる。私たちにとって都合の良いものも悪いものもあるけれども、そのすべてのものの上に主のいつくしみとあわれみがある。すべてのものは主のいつくしみとあわれみによって存在している。
14 主は倒れる者をみな支え
かがんでいる者をみな起こされます。
共同訳2018では、「主は、倒れそうな人を皆支え うずくまる人を皆立ち上がらせる」。
倒れそうな時がある、倒れてしまうときがある。何の支えもないと絶望するときがある。うずくまるほか仕方がないときがある。しかしそんなときも主はともにいて支えてくださる、立ち上がらせてくださる。
16 あなたは御手を開き
生けるものすべての願いを満たされます。
主は御手を開いてくださる。そうして生けるものすべての願いを満たしてくださる。共同訳2018では、「命あるものすべての望みを満ち足らせる」。
希望を抱き、それが実現することを願う。大きな希望もあれば、小さな希望もある。それらが実現することを願う。それは生きる力です。人間だけではなく、主によって造られたものは、すべて希望を持っている。だから生きている。
庭のブロックのところに大きなカマキリを見つけました。三角の頭をくりくりとしながら、ゆうゆうと移動しています。どこに行こうとしているのか。行き先に何があるのか。何かがあることを知っているのか。予想しているのか。私にはわからないけれども、確かに何らかの願いをもって生きている。
願いは、ただそれだけであればむなしいことです。語った言葉が、誰にも聞かれず虚空に消えてしまう。そのように、願いが心に浮かんでも、それが、ただそれだけであるならばむなしいのです。
しかしその願いを聞き、受け止め、実現してくださるお方がおられる。どんなに小さな声でも聞いてくださる方がおられるならばむなしい言葉とはならないように、私の心の願いを聞いてくださるお方がおられる。草花や昆虫、さまざまな生きる者の願いを聞いておられる方は、私の心の願いをも聞いてくださっている。
主がおられるので、私の心に浮かぶ願いは、決してむなしいことにはならないのです。
主は願いに答えようと御手を開いていてくださいます。主の御手には、すべてがある。その御手には、十字架の釘の跡がある。傷ついた主の御手だからこそ、そこには私の願いに答えることのできるすべてのものがある。