しかし、助産婦たちは神を恐れ

静まりの時 出エジプト1・15~21〔恵みに強められる〕
日付:2024年08月26日(月)

15 また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに命じた。一人の名はシフラ、もう一人の名はプアであった。
16 彼は言った。「ヘブル人の女の出産を助けるとき、産み台の上を見て、もし男の子なら、殺さなければならない。女の子なら、生かしておけ。」
17 しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはしないで、男の子を生かしておいた。

 エジプトの王は、国内にヘブル人(ユダヤ人)が増えて来るのを見て恐怖を抱きます。それで恐ろしい政策を発令しました。出産の際、生まれた子が男子ならば殺してしまえ、と。
 力で世界をコントロールしようとする者は、その手を、社会の最も弱い者、小さな者に向けます。抵抗のできない存在から消していこうとするのです。状況は違いますがこの数千年後に起こるヘロデ大王による幼児虐殺もそうかもしれません。あるいは現代に起こる子どもに対するさまざまな虐待もそうかもしれません。さまざまな社会的弱者に対する公的扶助の減少もそうかもしれません。
 しかしここに奇跡が起こります。助産婦。現代では助産師と呼ぶべきだと思いますが、今朝の個所には、ユダヤの歴史に名を遺すことになった二人の助産師が記されています。シフラとプア。彼女たちは「神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはしないで、男の子を生かしておいた」。
 神を恐れる(畏れる)という奇跡。彼女たちのうちに起こったこの奇跡が、幼い命を救いました。
 命を救うという称賛されるべきことも、疑心暗鬼の中にある権力者から見れば、自らを脅かすことであり、それゆえその責任を追及されることでした。

18 そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼んで言った。「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」
19 助産婦たちはファラオに答えた。「ヘブル人の女はエジプト人の女とは違います。彼女たちは元気で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」

 責任を追及する王に対して、助産師たちのこの答えは俊逸です。おそらく出産の際に、男子か女子かが明らかになった瞬間に、人知れず殺してしまうようにとの王の命令だったのだと思います。しかしヘブル人の女性はエジプト人とは違って「元気」である。だからそのチャンスがないのだ、と答えたのです。果たして、このような答えで王は納得するのでしょうか。
 王の心の中は十分には分かりません。しかし助産師を使っての幼児殺害がうまくいかないことは十分に理解したようで、助産師に出した命令は「自分のすべての民」(22)に対する命令へとエスカレートしてしまいました。

20 神はこの助産婦たちに良くしてくださった。そのため、この民は増えて非常に強くなった。

 神さまは助産師たちに対して「良くして」くださいました。それで「この民は増えて非常に強く」なりました。助産師たちの幸いが、民全体の増加と強さを生んだといいます。神さまを恐れてその職務を全うする人たちを、神さまは祝福してくださり、それが社会全体の祝福に実を結んでいく。キリスト者は、社会にあってその職務に従事する際、なによりも神さまを恐れてことを為さなければなりません。そしてそのように職務を全うすることによって自らがまず祝福される。そうして、所属する社会が、そして世界全体が祝福されることを覚えていたいと思います。

21 助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。

 助産師たちの「家」を神さまは栄えさせてくださいました。それは彼女たちが「神を恐れた」からである、と聖書は語ります。王よりも神さまを、王の命令よりも、神さまのお言葉を第一にした。そのような彼女たちを神さまは繁栄させてくださいました。
 朝ドラで、なぜ人を殺してはいけないのか、と登場人物が問いかけていました。この問いに対してどのように私たちは答えるのか。殺人が許容される社会は、場合によっては自分も殺されてもよい、と了解したことになる。私はどのような理由であっても殺されたくない、だから、殺人は容認できな、と答える場合があるかもしれません。しかし神さまを信じている。神さまを恐れている。神さまを愛している私たちは、シンプルです。王、あるいは為政者が、社会が何と言おうとも、「殺してはならない」と神さまが言われるので、どのような場合であっても殺人はいけないのです。こう考えると、死刑、という刑罰はかなり難しい問題になりそうです。

 さて、今朝はこの助産師たちの王に対する答え、というか、答えた彼女たちの姿が心に留まりました。

19 助産婦たちはファラオに答えた。「ヘブル人の女はエジプト人の女とは違います。彼女たちは元気で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」

 しれっと、というか、けろっと、というか、ぬけしゃあしゃあと、というか。王の前で、動じないのですが、虚勢を張っているわけでも、強情な感じでもない。言った後からくるりと振り返って舌を出しているような、そんな彼女たちの、したたかさ、を感じます。
 したたか、は変換すると「強か」「健か」と出てきました。健やかな強さ、という感じでしょうか。
 世界は、こういう女性たちによって守られているのかもしれません。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: