静まりの時 ヘブル13・18~21〔平和の祝福〕
日付:2024年08月17日(土)
18 私たちのために祈ってください。私たちは正しい良心を持っていると確信しており、何事についても正しく行動したいと思っているからです。
19 私があなたがたのもとに早く戻れるように、なおいっそう祈ってくださるよう、お願いします。
私たちのために祈ってほしい。なぜなら自分たちは「正しい良心」を持っていると「確信している」からである。また何事についても「正しく行動したい」と思っているからである。良心は、良い心と書きますが、ギリシャ語では「一緒に」と「見る」の二つの単語から成り立っています。一つの集団の中で、共通している感覚、見方、を良心という。ということは、それが、正しい良心もあれば、正しくないと言わざるを得ない良心も起こりうる。
戦争中の兵隊さんは、敵を殺すようにと教えられます。そこでは殺人は称賛されることでした。しかし戦争が終われば、どのような殺人であってもそれは正しくないこととなりました。
正しい良心をもっている、と確信すること。正しいとは原文では、美しいとも訳される言葉です。美しい良心、美しい行動。信仰者はそれを追い求めます。そのために祈ってほしい、あなたの祈りがなければならない、と手紙において伝えるのです。
20 永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを、死者の中から導き出された平和の神が、
21 あらゆる良いものをもって、あなたがたを整え、みこころを行わせてくださいますように。また、御前でみこころにかなうことを、イエス・キリストを通して、私たちのうちに行ってくださいますように。栄光が世々限りなくイエス・キリストにありますように。アーメン。
もしかしたら、礼拝における祝祷として、この箇所が読まれることを経験された方もおられるかもしれません。
この20節は、原文では、単語の順序が最初に「神」「平和」と書かれています。
平和の神。その平和の神は、永遠の契約の血による大牧者である。そうして私たちを使者の中から導き出してくださった方である。その神が、あなたがたを整えてくださるように、そして神さまのみこころを行わせてくださるように、と祈り願う。またその平和の神が、神さまの御前で、神さまのみこころにかなうことを、イエス・キリストを通して、私たちのうちに行ってくださるように、と祈る。
十字架において流された血。その血によって救われる。それは神さまとの間に平和をいただくことです。そうして神さまとの間に平和をいただいた者は、もはや自分の願望を行う者ではない。そのような生き方から解放された。神さまとの間に平和をいただいた者は、その神さまによって、整えていただく。死を滅ぼしてくださった方、復活の力をもって整えてくださる。そうして神さまのみこころを行わせてくださる。
神さまのみこころを行う、とは、それは神さまの御前で行うことである。人に見せるために行うことではない。
その行うことも、自分の力で行うことではない。ひたすらイエスさまを通して行うことである。それは神さまご自身が行ってくださることである。私たちを通して行ってくださる。
「私たちのうちに」。私のうちにではない。私たち、すなわち、教会に行ってくださる。主への奉仕は、いわゆるスタンドプレーではあり得ない。教会が、兄弟姉妹の交わりの中に、それこそ、コモンセンス、正しい良心をもって行うことである。