静まりの時 詩篇34・11~18〔平和を求めよ〕
日付:2024年08月07日(水)
※新共同訳、共同訳2018では12~19節。
11 来なさい。子たちよ 私に聞きなさい。
主を恐れることを教えよう。
主を恐れる(畏れる)ことは、生まれつき自然と身についているものではなく、聞かなければならないこと、学ばなければならないこと、訓練されなければならないことです。漢字で「私」となっていますので、これは人間のこと、ここではダビデのことですが、ちょっと微妙な感じもします。
12 いのちを喜びとする人はだれか。
幸せを見ようと 日数の多いことを愛する人は。
13 あなたの舌に悪口を言わせず
唇に 欺きを語らせるな。
14 悪を離れて 善を行い
平和を求め それを追い続けよ。
いのちを喜びとする。日数の多いことを愛する人、共同訳では「日々を愛して恵みにまみえる人」。この人生を愛し、幸いの道を歩む人とは、悪口を言わない、欺きを語らない、悪を離れて善を行う、平和を求め、追い続ける人。まっすぐに歩もうとする人、戦いを起こさない人、悪を打ち込簿等と戦いを挑むのではなく悪から離れる人、ひたすら善を行う。
平和とは、自然と生まれる状況のことではなく、追い求め続けるものである。追い求めなければ、途端に、平和はどこかへ行ってしまう。昨日は、広島へ原爆が落とされ79年。毎回のことですが、平和宣言に深く頷くことになりました。
15 主の目は 正しい人たちの上にあり
主の耳は 彼らの叫びに傾けられる。
16 主の御顔は 悪をなす者どもに敵対し
主は彼らの記憶を地から消し去られる。
17 苦しむ者が叫ぶと 主は聞かれ
そのすべての苦難から救い出してくださる。
主の目は正しい人たちに向けられている。正しいとは、義、ということであり、神さまとの関係においての正しさ。それは神さまご自身が整えてくださることですが、それに応えようとする人のことです。信仰に生きる人のことです。この「正しい人」には、「叫び」がある。苦しみがある。その苦しみを自分で何とかしようとするのではなく、主に叫ぶ、主に祈る。主は、その祈りを聞いてくださり、すべての苦難から救い出してくださる。
18 主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ
霊の砕かれた者を救われる。
そのように主に望みを置き、主に祈るものは、心が打ち砕かれた者です。心が打ち砕かれなければ、真実に主に祈ることはできない。自分で自分の義を建てようとすることから解放され、自由になってひたすら主を追い求める。主はそのような者の近くにいてくださる。そうして救ってくださる。
【詩篇34・11~18】
11 来なさい。子たちよ私に聞きなさい。
主を恐れることを教えよう。
12 いのちを喜びとする人はだれか。
幸せを見ようと日数の多いことを愛する人は。
13 あなたの舌に悪口を言わせず
唇に欺きを語らせるな。
14 悪を離れて善を行い
平和を求めそれを追い続けよ。
15 主の目は正しい人たちの上にあり
主の耳は彼らの叫びに傾けられる。
16 主の御顔は悪をなす者どもに敵対し
主は彼らの記憶を地から消し去られる。
17 苦しむ者が叫ぶと主は聞かれ
そのすべての苦難から救い出してくださる。
18 主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ
霊の砕かれた者を救われる。