三つ撚りの糸は簡単には切れない

静まりの時 伝道者4・9~12〔共に生きる〕
日付:2024年07月26日(金)

9 二人は一人よりもまさっている。
 二人の労苦には、良い報いがあるからだ。

 新共同訳では「ひとりよりもふたりが良い」、共同訳2018では「一人よりも二人のほうが幸せだ」。まさっている、良い、幸せ。すぐれている、と聞くと、なにやら能力的に、効率的に優れている、ということを想像してしまいますが、それだけではなく、幸福である、という、数値でははかれないすぐれたものがある、ということでしょう。
 一人孤独である、ということは、それ自体に問題をはらんでいる、ということでしょうか。神さまは、人を一人で生きるようにはお造りになられなかったのです。

10 どちらかが倒れるときには、
 一人がその仲間を起こす。
 倒れても起こしてくれる者のいない
 ひとりぼっちの人はかわいそうだ。

 倒れる、ということが起こる。それはどちらに起こるかわからない。突然に健康が奪われる、経済が行き詰まる、希望が潰えてしまう。そんなときに、起こしてくれる仲間がいる、友がいる。それは幸いである。もしそういう仲間、友がいないとすれば、かわいそうである。かわいそうというのは、少なからず上から下の印象がありますが、新共同訳、共同訳2018では「不幸」と訳されていました。
 私たちはいろいろな状態の中に「不幸」を味わいますが、この仲間がいない、友がいない、ということこそ不幸であることを知らなければなりません。

11 また、二人が一緒に寝ると温かくなる。
 一人ではどうして温かくなるだろうか。

 それぞれが上着を出し合い、それを重ねて暖をとる。一枚であった時よりも、二倍以上の暖かさです。それぞれの体温が相手を温め、そうして自分自身も温められる。1+1は2ではなく、2以上なのです。

12 一人なら打ち負かされても、
 二人なら立ち向かえる。
 三つ撚りの糸は簡単には切れない。

 「打ち負かされる」は、新共同訳では「攻められれば」、共同訳2018では「襲われても」。完全に敗北しているわけではありませんが、攻撃を受けている中に劣勢を強いられている状態。しかしもしそれを一人で戦うとすれば、すぐに限界がやってきます。しかし二人であれば、「立ち向かえる」。二人の意味は大きいのです。
 三つ撚りの糸。一本でも二本でもない。三本が撚られている糸は、簡単には切れない。切れないわけではないかもしれない。しかしそうたやすく切れることがない。一定の時間は稼げる。どうせ切れるならば、そんな時間稼ぎが何になるのかと言われるかもしれない。しかしそうして生み出された時間によって、救われる命がある。歴史はそのような敗北が分かっているけれども、あきらめずに戦う者たちによって、平和が保たれていることを語るのだと思います。奴隷問題、公民権、男女平等、普通選挙制、公害問題などなど、そのときには勝利が見えないかもしれない、しかしなお戦った人たちによって、後の世界が築かれたのです。そこにはことごとく「三つ撚りの糸」があったのだと思います。ローザパークスさんがいなければ、やはりキング牧師の働きは実を結ぶことが難しかったかもしれない。逆にキング牧師がいたからこそ、ローザパークスさんもバスボイコット運動ができたのかもしれません。その他多くの名もない人たちの祈りがあったからこそ、実現したのだと思います。
 ちなみに今朝の聖句は、私たち夫婦が結婚の時に作成した小さな冊子のタイトル聖句でもありました。

【伝道者4・9~12】
9 二人は一人よりもまさっている。
 二人の労苦には、良い報いがあるからだ。
10 どちらかが倒れるときには、
 一人がその仲間を起こす。
 倒れても起こしてくれる者のいない
 ひとりぼっちの人はかわいそうだ。
11 また、二人が一緒に寝ると温かくなる。
 一人ではどうして温かくなるだろうか。
12 一人なら打ち負かされても、
 二人なら立ち向かえる。
 三つ撚りの糸は簡単には切れない。


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