主は勇士のように出で立ち

静まりの時 イザヤ42・10~13〔自然の中で神をたたえる〕
日付:2024年07月19日(金)

10 新しい歌を主に歌え。
 その栄誉を、地の果てから。
 海に下る者、そこを渡るすべての者、
 島々とそこに住む者よ。
11 荒野とその町々、
 ケダル人が住む村々よ、声をあげよ。
 セラに住む者たちは喜び歌え。
 山々の頂から声高らかに叫べ。
12 主に栄光を帰せよ。
 島々にその栄誉を告げ知らせよ。

 「ケダル」とは、イシュマエルの子という説明もありますが、この場合は、パレスチナからメソポタミヤまで広がるシリヤ・アラビア砂漠の遊牧民のことで、黒い天幕で生活した、とのこと。ケダルとは、黒い、浅黒いという意味があるそうです。イスラエルからすれば異邦人であるケダル人が住む村々にむかって、神さまを賛美せよ、と語りかけています。「セラ」というのは、この場合、特定の地名をさしているようですが、セラが、岩を意味する言葉ということで、一般的に岩のように堅固な町を表しているとのこと。海、山、いたるところに住む人たち、ユダヤ人も異邦人もすべての人が神さまに向かって新しい歌を歌う。そして神さまの栄誉を世界に告げ知らせる。

13 主は勇士のように出で立ち、
 戦士のように激しく奮い立ち、
 ときの声をあげて叫び、
 敵に向かって力を見せつける。

 「力を見せつける」は新共同訳では「敵を圧倒される」。神さまが敵を圧倒されるとはいったいどのようなことをいうのか。私はいつも主イエスさまの逮捕の場面を思い浮かべます。

4 イエスはご自分に起ころうとしていることをすべて知っておられたので、進み出て、「だれを捜しているのか」と彼らに言われた。
5 彼らは「ナザレ人イエスを」と答えた。イエスは彼らに「わたしがそれだ」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒に立っていた。
6 イエスが彼らに「わたしがそれだ」と言われたとき、彼らは後ずさりし、地に倒れた。
(ヨハネ18・4~6)

 「わたしがそれだ」。原文では、「エゴー エイミー」。出エジプト記3章で自らの名前を「わたしは『わたしはある』という者である」と言われた全能の主が、ここでもご自身を明らかにされています。それが人間を圧倒した。その言葉が発せられると、人間は後ずさりし、地に倒れた、といいます。特にヨハネの福音書にはこの「エゴー エイミー」はたくさん出てきます。

 もう一つ、ピラトの前のイエスさまのお姿を思い起こします。

12 しかし、祭司長たちや長老たちが訴えている間は、何もお答えにならなかった。
13 そのとき、ピラトはイエスに言った。「あんなにも、あなたに不利な証言をしているのが聞こえないのか。」
14 それでもイエスは、どのような訴えに対しても一言もお答えにならなかった。それには総督も非常に驚いた。
(マタイ27・12~14)

 訴えられているイエスさま。不利な証言がさまざまに語られる中にあって、何ひとつ答えられません。そのイエスさまの姿が、時の権力者を驚かせました。さまざまな力を見聞きしてきたピラトが、ここで今までに経験したことのない全く異質な「力」に出会って驚愕したのです。圧倒的な神さまの力に出会って驚いているのです。驚いてはいるけれども、それが神さまの力であることをピラトは知りません。それが神の力であることを知るためには、自らを低くしなければなりません。

18 十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。
(第一コリント1・18)

 十字架において現された、神さまの力、に私たちは今日も生かされています。

 教会に植えられたブルーベリーの実が少しづつ色づいてきました。今日は「土用」。梅雨も明けたのでしょうか。朝から青空が広がっています。

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【イザヤ42・10~13】
10 新しい歌を主に歌え。
 その栄誉を、地の果てから。
 海に下る者、そこを渡るすべての者、
 島々とそこに住む者よ。
11 荒野とその町々、
 ケダル人が住む村々よ、声をあげよ。
 セラに住む者たちは喜び歌え。
 山々の頂から声高らかに叫べ。
12 主に栄光を帰せよ。
 島々にその栄誉を告げ知らせよ。
13 主は勇士のように出で立ち、
 戦士のように激しく奮い立ち、
 ときの声をあげて叫び、
 敵に向かって力を見せつける。


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