義の実を結ばせる種は、平和をつくる人々によって平和のうちに蒔かれるのです

静まりの時 ヤコブ3・13~18〔実を結ぶ〕
日付:2024年07月09日(火)

「あなたがたのうちで、知恵があり、分別のある人はだれでしょうか。その人はその知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。」(13)

 知恵がある、そして分別がある。知恵と分別は、互いに補い合って信仰者を形作ります。聖書の研鑽を怠らず、聖書の語る中心的、そして正統的教理を学び心に納め、さらに、それらを教会生活の中で適切に実践していく、さまざまな判断をしていく。すべての人がそうであってほしいとの願いが、ヤコブの中にあるのだと思います。
 もしそのような知恵があり、分別があるならば、その知恵にふさわしい「柔和な行い」を「立派な生き方」によって示しなさい。隠していてはいけない。日々の信仰生活の中で、社会生活の中で、そして何よりも、教会生活の中で示しなさい、と続きます。
 その能力が備わっていると主張しても、実際の生活の中に実践されているかどうか。その生活の中に示されているか。それが大切である、というのです。自らをふりかえると恥ずかしいような、心痛いようなことばです。
 牧師もいわゆる立派な言葉を講壇で語っているとすれば、その立派な言葉にふさわしい生活をせよ、と言われているのです。

「しかし、もしあなたがたの心の中に、苦々しいねたみや利己的な思いがあるなら、自慢したり、真理に逆らって偽ったりするのはやめなさい。」(14)

 これは少しわかりづらい言葉ではないか、と思います。
 もしあなたがたの心の中に、苦々しいねたみや利己心があるなら、そのような心から出て来る言動は、自慢や偽りとなってしまう、と読むことも可能かもしれませんが、そのような文章とは少し違います。
 真理に逆らって偽ることをやめよ、というのですが、本人は真理に逆らっているつもりもなく、偽っているつもりもないのだと思います。しかし、罪びとである人間の心の中には、どうしても苦々しいねたみや利己心があるものだ、イエスさまにお出会いして自らが罪びとであることを教えられ、イエスさまのまえにひざまずき悔い改めたならば、そのような自らのうちにあるねたみや利己心と戦いなさい。真理に逆らって偽ったりするのをやめなさい、ということかもしれません。それが本当の知恵に生きるということなのだ、と。

「そのような知恵は上から来たものではなく、地上のもの、肉的で悪魔的なものです。ねたみや利己的な思いのあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。」(15、16)

 自分には知恵がある、と思っていても、そこに柔和さ、立派な行いがないならば、それは上から来たものではない。心の中にねたみや利己的な思いがあって、それによって自慢したり、真理に逆らって偽ったりしているだけなのだ。そのような知恵は上から来たもの、すなわち神さまから来たものではない、むしろ地上のもの、肉的で悪魔的なものなのだ、と。
 どんなに知恵にあふれていても、悪魔的なものがある。ねたみや利己的な思いがあるならば、悪魔的なものになってしまうのだ。そのようなところには、「秩序の乱れ」「邪悪な行い」がある、といいます。
 どんなに知恵に満ちていても、秩序が乱れてしまうならば、それは邪悪なものとなってしまう。何よりも大切なのは、秩序である。

「しかし、上からの知恵は、まず第一に清いものです。それから、平和で、優しく、協調性があり、あわれみと良い実に満ち、偏見がなく、偽善もありません。」(17)

 イエスさまを信じたその時から私たちは上からの知恵に満たされましょう。上からの知恵によって生きるように招かれました。それは、地上の知恵を無視することではありません。地上のものとはねたみや利己的な思いからもの、ということですから、どんなに上からものに見えても、そこにねたみや利己的な思いがあるならば、それは地上のものです。上から知恵は、まず第一に清いものです。この良い実のリストをいくつかの訳で比べてみましょう。新改訳、新共同訳、共同訳2018、口語訳、バルバロ訳、フランシスコ会訳の順番で書き上げてみます。

・清い、純真、清い、清く、清いもの、清く
・平和、温和、平和、平和、平和、平和
・優しく、優しく、公正、寛容、寛容、寛容
・協調性、従順、従順、温順、謙譲、温順
・あわれみと良い実に満ち、憐れみと良い実、憐れみと良い実り、あわれみと良い実、あわれみと好い実、あわれみと良い実
・偏見がなく、偏見はなく、偏見も(偽善も)ありません、かたより見ず、人を差別せず、真心のこもった
・偽善もありません、偽善的でもありません、偽善のありません、偽りがない、いつわらぬもの、偽りのないもの

 それぞれの違いには、原文の意味を明らかにしようとの苦心が現れているのだと思います。こうして並べてみると、なんとなく分かったような気持ちになります。

「義の実を結ばせる種は、平和をつくる人々によって平和のうちに蒔かれるのです。」(17,18)

 上記のような義の実を結ばせる「種」は、蒔かれる方法にも、特徴がある、蒔かれかた、がある、といいます。戦いのうち、混乱のうち、秩序の乱れたなかに蒔かれるのではなく、平和のうちに蒔かれます。
 平和のうちに蒔かれない。すなわち無秩序のなかに蒔かれてしまった「種」は、それがどんなに良いものに見えても、結局は義の実を結ぶことにならない、ということなのだと思います。

【ヤコブ3・13~18】
13 あなたがたのうちで、知恵があり、分別のある人はだれでしょうか。その人はその知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。
14 しかし、もしあなたがたの心の中に、苦々しいねたみや利己的な思いがあるなら、自慢したり、真理に逆らって偽ったりするのはやめなさい。
15 そのような知恵は上から来たものではなく、地上のもの、肉的で悪魔的なものです。
16 ねたみや利己的な思いのあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。
17 しかし、上からの知恵は、まず第一に清いものです。それから、平和で、優しく、協調性があり、あわれみと良い実に満ち、偏見がなく、偽善もありません。
18 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人々によって平和のうちに蒔かれるのです。


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