,

ロンリネスとソリチュード

少し古い本ですが、ロンリネスとソリチュードの違いについて説明している本がありましたので、投稿しておきます。

ロンリネスとソリチュード

 日本語では「孤独」と一言で表わしていますが、英語には同じ「孤独」という言葉を少なくとも二つの言葉で表わします。ロンリネス(Loneliness)とソリチュード(Solitude)です。
 ロンリネスは前節の孤独感とつながると思います。自分には友達がいない、共鳴してくれる者がいない、交われる人がいない時の寂しい感じです。ただ I feel lonely と言えば、何となく寂しくて一人ぼっちでいることを表わしています。
 ソリチュードという言葉の意味はまったく違います。これは一人になるということを指します。たとえばグループの人間関係の中に流されて自分を意識していなかった自己不在の自分が、自分を意識して、自己に立ち戻って充実した自分を生きている時をさします。ソリチュードは、雑念・雑音の世界から離れて静かになって、本当の自分を感じ取り直すことを意味します。ですからソリチュードは、自己実現とつながっていますし、無限の広がりとも関係があります。私は単に団体の中の一個ではなくて、直接に無限と大自然と絶対永遠な世界とつながっていて、自分自身が主体的なもの、深いものであることを感じさせてくれる時間と状態を表わしています。一人でクラシック音楽を聞きながら、その美しい世界に浸る自分、一日の自分にあったことを思い浮かべながら自分の中の豊かさを意識していく自分、あるいは深い本を読んでいる自分、ただ瞑想にふけって黙想していく時の自分のことです。
 ロンリネスは寂しい感じにとどまりますが、ソリチュードは一人でありながら、かえって多くの深い喜びや静かな安らぎと安定感を与えてくれるものです。
 現代人の多くの不安と寂しさは、ソリチュードの時間がほとんどないところからくるのではないでしょうか。学生たちを見ていると、つくづくそう思います。いつもグループでしか動けず、一日中クラスの仲間とかクラブの仲間、あるいはマージャンの仲間とぶらぶら過ごし、自分がちっとも深まらなくて、いつの間にかむなしさに陥ってしまいます。ロンリネスに悩むから仲間を求めますが、しかし本当のロンリネスになるのは仲間がいないからではなく、心の底からの本当のコミュニケーションが足りないからです。いつも他人と共にいてソリチュードがないから、本当の自分を失って、本当の自分を分かち合うことができなくなってしまいます。一言で言えば、ロンリネスになるのは、ソリチュードが無いからです。
 このように、ロンリネスとソリチュードとは、同じ孤独でもその意味するところはたいへん違いますが、両者は無関係なのではなく、むしろ深い関係があるとも言えます。ロンリネスに陥って寂しくなる時に、もしそれをごまかさないで正面から見つめれば、多くの場合ソリチュードへのきっかけとなります。すなわち寂しい時に一人になって考えたり、本を読んだり、黙想したりして、深いソリチュードを味わうことができるようになります。
 ソリチュードのおかげで、自分のロンリネス、自分の寂しさの理由がわかり、自分のロンリネスを越えることができる場合がよくあります。また、ロンリネスは、交わりとソリチュードが足りないことを表わしています。本当は、ソリチュードが人間にとってたいへん必要なもので、ソリチュードの時間は孤独というよりもむしろコミュニケーションの時だと言ったほうが当たっているといえるでしょう。

イシドロ・リバス、『孤独を生きぬく』、講談社、1985年6月20日発行、120頁ff


投稿日

カテゴリー:

,

投稿者:

タグ: