第20章 運営と管理
グレゴリウス1世(別称大グレゴリウス)(540頃~604)は古代と中世の境に位置する重要な教皇でした。彼は教会の規律を重んじ、聖職者のあり方を説き、自らを「神のしもべの中のしもべ」と称した人です。その彼が司祭は羊の群れの一人一人の羊飼いであると共に群全体を監督する「牧会管理責任者」(the pastoral director)でもあることを忘れてはならないと言っています。
(鈴木崇巨、『牧師の仕事』、教文館、2002年10月10日発行、238頁)
神学校では実践神学の一環として教会の運営や管理についての講義がありますが、遣わされる団体や教団、教会のあり方によってさまざまな課題があり、結局手探りで進めていくことも多いと思います。牧師会などでは、できるだけこの課題について分かち合い、それぞれの現場に生かしていければと思います。
この章には、以下の8項目が掲げられて論じられています。
1、長老・執事・役員を訓練しなさい
2、長老・執事・役員の選任
3、長老・執事・役員会の仕事
4、委員会などについて
5、財務について
6、聖歌隊について
7、重要書類の管理
8、コンピューター管理
8番目の項目などはなかなか現代的なテーマです。
この項目を見て分かるように、教会の運営や管理ということは、結局「長老・執事・役員」の管理である、ということでしょう。私たちの教会では、とりあえず役員会指導ということになります。そして各委員会、教会の中でのいろいろな活動的グループ、交わり的グループの運営と管理。
財務などはなかなか取り扱いに緊張するテーマですが、この本では「教会財務の管理責任者はやはり牧師ですが、この問題については、牧師が王座に座らないで王座のうしろにいる人になった方がよいでしょう」と書かれていました。聖歌隊というのは、ちょっと特別な感じがしますが、教会の大切な奉仕として挙げられています。賛美はみんなでするものですが、賛美をリードするということで、聖歌隊はあればいいなと思うこともあります。初めて歌うであろう賛美も安心して選択することができます(笑)。重要書類の管理は、法人格を取得してからはより重要なテーマになっています。
あらためて役員会指導ということですが、若い先生や新しく赴任した先生は、この点で最も苦労されているのではないでしょうか。役員を指導するどころか、役員さんに指導していただいているのではないか(笑)という場面にも忍耐をもって労しておられることを想像しています。人生経験も社会経験も豊富な方々を指導するなどということは、難しいことです。この難しさの中で、行き詰ったり、牧師そのものを辞めてしまわれることも起こっています。牧師不足の中で、牧師を行き詰られてしまう教会とは一体何なのか。いわゆる免疫不全に陥っているのではないかと思ってしまいます。
しかし中には本当に「御霊の人」がおられます。どんなに経験が浅く、知恵の足りない牧師であっても、ただ献身者であるという一点で、仕えてくださる方もおられます。そのような存在は宝です。牧師にとって宝というのではありません。教会にとって宝なのです。
項目1の「長老・執事・役員を訓練しなさい」では以下のことばが記されています。
「ではどのような人が(役員)ふさわしいのでしょうか。それは当然のことですが牧師がどのような人であるべきかに似ています。もし違うところがあるとするならば、牧師のような召命観はなく、また神学校などの訓練機関で学んでいないというところです」(前掲書、238頁)
とあり、参考になる聖書の個所として、使徒6章1~6節と第一テモテ3章8~13節が挙げられていました。
さらにこのような資格に付随してふさわしい人として以下の点が加えられていました。
(1)ある年齢以上の人(たとえば25歳以上)
(2)信仰に入って数年の信仰訓練を受けた人
逆にふさわしくない人として以下の3点が挙げられていました。
(1)礼拝に出席していない人(よく礼拝を休む人)
(2)十分な信仰訓練がほどこされていない人
(3)協調性のない人
「もしそのような人が選ばれたら、教会を立て上げていくのではなく破壊していくことになりかねない」(前掲書、240頁)
と厳しい言葉が続いています。
「牧師がなすべき長老・執事・役員訓練の内容は、ただひとえに信仰の訓練です」(同上)
つづく項目の2として「長老・執事・役員の選任」では
「教会の奉仕者の選任には二つの原理が考えられます。一つは聖書の教えにかなった選び方がなされること、もう一つは民主的な選び方がなされることです。これを満たす一つのよい方法は選挙です。」(前掲書、241頁)
「会員の少ない教会では、すべての信徒の中から単純に選挙されることが多いようです。百人以上の信徒のいる教会では、ふさわしい人々を指名してその中から選挙する方法が賢明ではないでしょうか。その場合には、指名する委員会を組織しなければなりません・・・」(同上)と続きます。
項目3「長老・執事・役員の仕事」では、まず教会運営の四つの分野が示されています。
(1)礼拝、伝道、教育などの活動に関する分野、(2)記録に関する分野、(3)財産、建物に関する分野、(4)財務に関する分野。私たちの教会では、全体的な分野として「成長懇談会」そして「礼拝部」「伝道部」「教育部」「総務部」「財務部」と5つの分野を設定し、それぞれに役員たちが役割と責任を分担しています。定例の役員会では、これに加えて団体や団体外関係の報告が加えられています。
教会運営に関して牧師のとるべき一般的な原則として6つの点が挙げられています。
(1)会議は時間通りに始め、終りの時間を定めて時間内に終わること。
(2)牧師は、長老・執事・役員の職務を偉大な尊厳あるものに高めるように努力すること。この世の政治の争いの真似をしないようにすること。もしそのような人がいたら、さらに訓練するかそのような人に職務を受けさせないようにすること。
(3)小差の過半数で行動を起こさないようにすること。反対者が多い場合は強い献身への思いが一致するまで待った方がよいでしょう。わだかまりをもった人々を残して開始するより、より深い理解へと導いた方が教会の場合はうまくゆきます。特に大きな問題は長い年月をかけて一致を待つべきです。しかし、必要なら過半数を神の意志と信じて教会は前進しなければなりません。
(4)組織の増大を奉仕の拡大、充実と見誤らないようにすること。
(5)牧師はどれだけ多くの量を審議したかではなく、むしろその質を常に問うていること。
(6)人々との相談より主との相談を多くすること。多くのトラブルは祈りのないところから発生します。
なかなか厳しい内容です。またこのまま当てはめることができるだろうか、と思うような言葉もありますが、一緒に考え、悩みながら進めていくことが良いように思います。
そして項目4として「委員会などについて」。
「教会の運営を実施するために委員会を設ける教会は、長老会・執事会・役員会などの管理下に置き、委員の選任にも責任をもたなければなりません。委員も奉仕者ですから前記の条件を満たす人でなければなりません。だれでも委員になれるなどとするのは危険です。不適当な人が選ばれれば、教会の運営は停滞するのではなく後退するでしょう。委員会には必ず長を置かなければなりません。責任体制を整えないと秩序が乱れます。また、新しい企画は最初に長老会・執事会・役員会で審議され、その後に委員会で審議されるべきで、けっして逆になってはなりません。」(前掲書、243頁)
「礼拝がなされ、聖書クラスがあり、祈りがなされてば、それで本質的な教会の働きはできているわけですから、不必要な委員会を作って組織を膨張させるべきではありません。」(同上)
とつづき、そして
「牧師はその『職務上』(ex oficio)すべての委員会に参加できます。しかし、あまり細かいことにまで口を出さない方がよいでしょう」(前掲書、244頁)
と締めくくられていました(笑)。
つまり役員会は、教会を代表するとともに、教会がキリストのからだとして一致して伝道や牧会に前進していくための大切な奉仕を担っているということでしょう。教会は罪人の集まりなので、放っておくとバラバラになってしまう。そうならないように、役員会はキリストのからだである教会が一つであり続けるように配慮する、それが役員会の役割であるということでしょう。
牧師がしっかりして、各委員会、小グループの動きを把握していることができていると、ほとんど問題は起こらないのだと思います。しかし時に牧師も信徒と対立することもあるでしょう。そんな時のためにも、牧師の個人プレーにすべてを任せるのではなく、役員会の中での一致を大切にして、チームで事に当たるということは、とても大切なことだと思います。教会の一致ということは、教会全体の一致ということです。あたりまえですが。教会内にできている一つのグループ内では一致しているけれども、そのグループが役員会と対立している、あるいは牧師と対立しているということは、これは分裂しているということですね(笑)。
具体的なテーマを上げるとすると、現在教会は感染症対策の中にあり多くの集いはお休みしまた飲食はしないようにしています。少しずつ緩和の方向にあると思いますが、どのタイミングで緩和するのか。そのような社会的な影響も含まれるような決定は、おそらく各グループで行っていただくと困ったことになるでしょう。やはりそこでも、全体の決定に各グループが従っていく、というトップダウンでないと、責任が取れなくなってしまいますし、教会の安心、安全が大きくぐらつくことにもなるでしょう。あちらのグループではO.K.で、こちらではだめ、というのでは基準が分からなくなります。各グループが「いま教会ではだめになっているのですよ」という言葉で、自分たちのグループは教会の考え方を尊重するグループであることを明らかにすることはよいことだと思います。
私は、信徒から個人的に相談されたり提案されたりすると、はいはい、と言ってしまうところがあって、ずいぶん混乱を生み出してしまったなと反省していることがあります。会議の後で、メールが着たり、電話があったりすると、それに揺さぶられていまいます。中には匿名の投書もあったりします。おそらく大きな会議では言えない意見を、そのような形で伝えてきてくださっているのだと思います。大切な意見だと思います。しかしやはり10人いれば10通りの意見があるわけですから、役員会を中心とした教会組織のあり方、会議での決定事項への尊重は、教会が混乱しないためには大切なことなのですね。また教会の話し合いは、その場にいる人も大切ですが、私は天国に帰られた方々の意見も大切ではないか、と思うことがあります。今集まった人たちの中で了解されるだけではなく、教会の歴史や伝道も大切にしながらことが決められていくということも大切ではないかと思います。
教会がキリストのからだとして一致しているということは、牧師だけではどうにもならないことです。役員会がそれぞれの役割分担に従って、各委員会や小グループに参加くださることは、教会が一つであるために大切なことであり、そのような実践がなされていることはありがたいことです。